出産体験談№82 自然なお産

プライベート出産

「お産」 2015
自宅の手づくりお風呂にて、だんなさんと二人でのお産で二人目を迎えた後に産まれた作品です。小さなお風呂は大いなる海と繋がっているという感覚、二人きりのお産でもたくさんの命たちの祈りと祝福と共に確かにあるという感覚・・・と共に彫りました。

この記事の見どころ

・プライベート出産って実際のところどうなの?!
・いろんなお産がある中のひとつとして、どうしてそれを選択したのか。
 選択して、どうだったのか。
・魂が望む方に行く。でも、握りすぎない。

31歳第1子(長女/子ども2人)自宅出産
36歳第2子(次女/子ども2人) 自宅出産

山梨県 小林煌さん(作家・版画家)

小林煌さんのお仕事の詳細はインタビュー末尾にて紹介しています。

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

煌さん
煌さん

2人目も欲しいなと思っていましたけど、
なかなか来ない!
きた時は、本当に嬉しかった。

上のお姉ちゃんとは5歳、間が空きました。
お姉ちゃんはめちゃくちゃ寝ない子で。パワーもすごくて、
寝かしつけに2時間かかったりとか、、
今思えば、2人目はそれくらい間が必要だったということ。
やっぱり完璧なんだろうな
、ってことです。

お産のイメージ

煌さん
煌さん

自然に産みたいと思っていました。

赤ちゃん(第一子)が宿ったときに「自然なお産」
とネットで検索してみたときに出てきたピンク色の本を読んで、
自分達だけで産むという選択肢もありえるなと、
むしろ一番自然なことじゃないかなと思いました。

お産のリアル1人目

煌さん
煌さん

実家で自宅出産!

お姉ちゃんの時は山梨で産みたかったけど
当時は助産院もなく、
開業されている助産師さんもいなくて。
病院にも行ってみたけれど、
ピンとこず。
県を超えて助産師さんにお願いしに行って
やっと決まったものの、
ふと、
ネットで実家のそばに助産院がないか調べたら
実家から歩いて5分の距離の助産院のホームページと
ニコニコ笑顔の助産師さんが飛び込んできて、
お腹の子もものすごく元気に動いて反応したので
会うだけ会いに行ってみようと会いにいくことにしたら、
トントンと、実家でその助産師さんと共にお産することに決まりました。

実家で産むと決まったときに、
父と母とも一緒に産もうと思っていました。
お産を一緒にもう一度体験してほしいと思ったの。

父はお産に立ち会ったわけではないし、
母はお産を「恥ずかしかった」って語っていたから、
命が産まれる瞬間を一緒に味わってほしいと思ったの。
それがわたしの第一子のお産のコンセプトになりました。
自分だけで産もうと思っていたところから、
「みんなでお産を体験する」と言うこと。

陣痛時は野獣になっていい、
というのを聞いていたから、
「お母さんうるさい」、
「そこはいま、触られたくない」って、
思ったことを言っていました。

今までそんな態度を
とったことないんですけど!
なので母もびっくりしたんでしょうね、
いまでも言われます(笑)

陣痛は痛くないと思ってたけど、、
違う!!!痛いじゃないかーー!!ってなりました。

正直、諦めたくなりました(笑)
でも、、そしたら世界中のお母さん、
諦めてないじゃないか!!って気がついたんです。

「わたしもできたんだから、あなたもできるよ」って
みんなが応援してくるような感覚になって。
それで、諦めずに、産むことが出来たんです。

面白かったのが、夫が生まれた子を抱きとめたのですが、
ここでハート全開に。
なんと、夫の方が先に母性全開、
お母さんになっちゃたようでした。

わたしは毎日撫でて話しかけていた
まんまるいお腹がしぼんじゃって、
お腹の中にいる子とひとつになって生きている感覚が失われちゃって
寂しさをすごく感じたんですね、、

お腹にいた子がいなくなっちゃった。って言う変な感覚、、。
目の前にいるのにね!
そんな自分がおかしい気がして落ち込んだりしたけど、
助産師さんがニコニコ、
「よくあることよ~」って軽く受け止めてくださって。
「こうやって入っていたんだよ、ここにこんな風にね」って、
赤ちゃんをまんまるくしてわたしのお腹に当ててくださったの。

おかげでその瞬間に、
わたしの中で、お腹にいた子=目の前にいる赤ちゃんになりました。

母とは、子どもを産んだ瞬間からもう一生
「お母さん」だなあって、
当たり前だけれど、母になってびっくりしました。

時に「お母さん一時停止ボタン」を空に探してみるけれど、、
そんなものはどこにもなくハッとしつつ覚悟と感謝を感じながら、
一瞬一瞬1日1日、一歩一歩、
子とともに「母」としてオギャーと産まれ、
共に育ち愛ってきたように感じます。

なので、本当、よちよちと手探りで「母」を歩いていきました。

今、やっとこ12歳^^

お産のリアル2人目

煌さん
煌さん

2人目、

やっぱり自分でって
なりましたが、

それは、何が何でも自分で産もうってしてたわけではなくて、

それも自然な流れでした。

ご近所にすごく素敵な助産師さんがお住まいなんですけど、
当時はその助産師さんは来たばっかり。

なので、わたしが病院に行って
「この方と提携してください」って掛け合ったりとかもしたんですけど、、
断られてしまって。

たまに病院に健診で行くと、
まあ自宅で産みたいという妊婦さんには
あまり関わりたくないんでしょうね、
どんどん後回しにされたり。
明らかに、関わりたくない、ここで産むわけじゃないしっていう雰囲気を感じました。

それで、ますますここでは
産みたくないなって。

とはいえ、こんなお産がしたい!!を握るのも良くないなと思っています。

あくまで自然の流れ、赤ちゃんに任せようと思っていました。

当時は朝1時間歩いたり、みくさのみたからを実践したり、
自分の感覚に正直に過ごすと言うことをしていました。
仕事もいつもしていたし、
お家も夫婦二人でリフォームしていたので、
外壁や床をはるトンカチの音も胎教音楽^^。

吉村医院※にも行って、
「みていただけますか」ということも
しました。

吉村医院(よしむらいいん)
愛知県岡崎市に根差して90年以上。母の「産む力」、子の「産まれる力」を存分に発揮し、畳のお部屋で自然なお産をすることを支援。そのために、妊娠中から 衣・食・住を大切にすること、そして自分自身の心と身体に向き合うことが大切であるとする。前院長は「自然なお産」の第一人者吉村正先生。吉村医院は映画「玄牝 げんぴん」(監督:河瀬直美)にもなっている。
引用元サイト:HP吉村医院 産婦人科 より

本を読んでいて吉村医院のお産への思いも感じていたし、
知り合いの助産師さんとのご縁があったので、
観ていただけるかもしれないな。と思いつつも、
病院で痛い目見てたから、諦めも半分くらい。。
が、予想以上に温かな電話での応対。

快く、親身に見てくださり、
「赤ちゃんもお母さんも順調ですよ。」
という「安心」と言うお産への一番大切なお守りをくださいました。
別れ際まで、
「何か力になれないかしら」とずっと気遣ってくださいました。
この時の吉村医院とのご縁は今も続いています。

産む時、
助産師さんはいらっしゃらなかったけれど、
夫が最高の助産師さんでした。

「もうちょっとだよー」って声かけしてくれたり。

それが、何でわかるんだろう?ってくらい、本当にぴったりだったんです。

完全にわたしと赤ちゃんを信頼して寄り添ってくれたからこその、
彼の感覚的なものだったんだと思います。


産んだのは、夫が作ってくれたお風呂。ちゃんと、段もつくってくれてて。家を自分達で建てていた最中だったんです!お風呂を初めて使ったのが 、このお産の時でした。上がったところに、床はまだ貼られていなかったりとかする状態(笑)

痛い時は痛みを笑いにして、流しながら、、
産まれる瞬間はお湯の中、するんと産まれました。

へその緒が一回くらい、巻いていたんですけど、それもするんと自然に外れました。
上の子と同じように羊膜に包まれたまま産まれてきました(*幸帽児)

幸帽児 こうぼうじ
一般的には分娩の際に卵膜が破れ、羊水が一部流出して赤ちゃんが出てくるのですが、まれに卵膜が破れないまま、半透明な卵膜に包まれた状態で産まれてきた赤ちゃんのことを指します。日本でも海外でも縁起の良い現象とされているようです。数万から10万人に一人の割合。

http://medicalsokuho.blog.fc2.com/blog-entry-6042.html

上の子の時に助産師さんが残してくれた羊膜。

胎盤が7時間くらい出なくて、少し焦りました。おしっこも出なくって!1人目でお世話になった助産師さんに電話をしたら、

「シャワーをかけてみたら?」

って言われたんです。そしたら、その刺激で麻痺していた神経が動いたのか、おしっこと一緒に胎盤もびっくりするくらいあっという間につるんってでました。

上のお姉ちゃんはお産の時は寝ていました。
起きてすぐに抱っこしているところ。
お姉ちゃんの顔から本当に大きな愛を感じた1枚!
妹を初めて見た時に、「世界にこんな可愛い存在がいるんだ」って思ったんだって!

翌日の7時にへその緒を切りました。

へその緒を切るタイミングは、胎盤を赤ちゃんより少し高いところに置いて胎盤の栄養や情報がちゃんと赤ちゃんに伝わりきってへその緒の脈動も止まってから切りたいなと思っていたから、上の子が起きるのを待っていたのと、そもそも胎盤が朝まで出なかったので、必然的に生まれてからだいぶゆっくりになりました。

お姉ちゃんが赤ちゃんの周りにお気に入りのタオルを置いたり、人形を置いたりしていました。

自分で産むということ

煌さん
煌さん

「わたしが自分で産むって決めた時にどう思った?」って

後で夫に聞いたら、

「煌ちゃんがいいならいいんじゃない」って思ったって。
上の子のお産も知ってるし、
決めた時点で、不安とかそういうものもなく、そういうものなんだな。って。

お産て、どのみち命がけ。
自分で産みたいという柱がありつつ、この子がどうしたいかも、確認しつつ・・いろんな門も叩きました。

自分で決めるよりも、自分の意思もあったけど、
赤ちゃんがどうしたいか。そこを大切にしていました。

結局お姉ちゃんの時も、導かれるように、なるようになったわけなので、、
その経験があったから、そんな風に思えていたんだと思います。

わたしの周りには自分達や、自分でお産をした人がたくさんいるのですが、
そんなお友達の数人から
「周りの人の不安や心配の波動をなるべく受けたくない」と言う話を聴きました。

お産はこの世とあの世を結ぶような時空。
細やかな波動の中でいろんなことを感じやすいのかもしれませんね。

どんなお産をするのかは、
お産をするお母さん本人の気持ちと、だんなさんや、子どもたちや、
そしてお母さん自身のご両親、
理想はみんなが安心してお産のあり方に心を合わせて
新しい命を迎えられたらいいけれど、
それぞれ違う感覚や想いがあって当然だから、
きっとずれたりぶつかったり、
擦り合わせなきゃ行けないこともあるかもしれませんね。

それでも、そんな体験全ても、赤ちゃんからのお贈り物なんだろうなって思います。

わたしは、両親に心配はかけたくないし、嘘もつきたくなかった。

「自分達だけでのお産をしようと思っている」なんて話したら、
間違いなく反対するし、心配するだろうなってわかっていた。

でも自然な流れで、健診に行った時は報告しているうちに両親は安心してくれていて、
あれこれ聞いてもこなかったので嘘をつくこともなく!
「こんなお産だったんだよ」は、事後報告になりました^^

「まあ無事産まれたならよかったわ」って、
案外すんなり受け入れてもらえました。
子どもは常に親の常識を打ち破っていきますね。。

煌さん
煌さん

お産になると、急に危ないことだ!ってなっちゃう。
でも、それってかえって不自然だよね、
産むことも、死ぬことも、命は全て自然。

それを、周りが死の可能性を感じて、ざわつく、ということなんじゃないでしょうか。

病院で産めば安全、、って、本当に?って思っています。病院で産んだとしても、死ぬときは死ぬし、、自分で産むという時に、はじめて、そういうことに気づきやすいのかもしれないですよね。

たぶん世界の大前提、、生きることに重きがおかれてるんだと、思うんですね。
共通認識として、命が最優先。
自分で産みたいという人は、みんなが作っているこの輪から、急に外れるんですよね。

その外れた人っていうのを見ると、人はざわざわする。ざわざわすることに、みんな蓋をしたがりますよね。死なないってことを、最優先するのが大前提の社会。

でもわたしは、自分がどうしたいのか、
を優先したいと思いました。
魂が選ぶ方に、いきたい。

だから、2人目のお産の時は、
命より、魂の声の方を大事にしました。

たとえ死のうが、魂がこっちだ!
という方へ行かないことのほうがわたしは嫌だったから
死なない気持ちで、魂が求める方を選びました。
このお産を通して、
自分の感覚の声に耳を澄まして、
誰がなんと言おうが、言われようが、
自分に正直であること、自分を信じることが
よりクリアになった気がしています。
間違いすら失敗すら、ちゃんとちゃんとギフトになって行きます。

煌さん
煌さん

わたしはお産で、女神になろう!!
って、決意したんです。

女神になりたい、その気持ちは、本当の自分を生きたいってことなんです。
人間て、脳みその、全体の3%しか使ってないって言いますよね。全部を使いたい!

お産で開くものがあるなら、開きたい!
自分の可能性に対して貪欲なんでしょうね。

女性として全部開いていないだろーって思いがあるのかもしれない。

小さい時から、人は本来ナウシカのような存在のはずだ、と思ってきました。
ロシアの本で、アナスタシアという本があるんですけれども、シベリアの森の中で何も持たずに自然と調和して生きるアナスタシアを見た時に、あぁ、人ってやっぱりこうなんだ!って思ったんです。

煌さん作品:「アナスタシア」 2015
『アナスタシア ロシアの響き渡る杉』シリーズの本を読んで受け取ったインスピレーションから産まれた作品です。 人はこんなにも素晴らしい可能性に満ち満ちた存在なんだ!と、自分という存在もとても尊く愛おしく思えます。
*いのちを迎え産むこと。子育てのあり方にも素敵なメッセージがありますよ。

煌さん
煌さん

大事にしたのは、
自分の感覚に心地よくありたい、
ということ。

産まれてすぐの写真。お姉ちゃんがすごい真剣に見ています。

〈小林煌 こばやしこう プロフィール〉
1979年1月21日東京生まれ。
絵描き・木版画家・舞人・お母さん
自分の真ん中はみんなと繋がるところだと思っています。
自分の真ん中へ潜っていって受け取った絵を表現し分かち愛うことが、
全てのいのちへの祝福となりますように。

編集者より一言

煌さんのお産は、プライベート出産だったそう。
正直に申し上げますとそれを聞いたわたしの感覚はまず、
これはまずい、シェアしがたい、だったんです。
なにがまずいって、このプロジェクトにかかわってくれている
医療関係者の方・助産師さんにとって、
プライベート出産を推奨している団体となったら
迷惑をかけてしまうのではないか、
あるいはここで発信することで、
勧めているように思われても困る。ということ。

でもたまたまこの時期、プライベート出産を選んだ方に続々出会い、
どなたも、無茶なことをやっている感じではなく・・
むしろ人一倍、自分自身や、赤ちゃんと向き合い、
身体を整え・・とされていることを感じました。
そして煌さんが大切にされていることは、
自分達で産むという経験ではなく、
赤ちゃんと自身の心地よさ。
人によっては病院にお任せ、という感覚もあるなか、
本当にプライベート出産は、お母さんの「したい」だけが先行した、
身勝手なお産と言えるのかな?

煌さんの話にも出てきますが、
当然と思っていた世界の前提が覆される感覚に、
ものすごくざわつきましたし、いろんな方に相談もしました。
そして結論。
わたしは、医療従事者ではないので忖度は必要ない。
お母さんたちの選択を尊重したいし、
この場はいろんな選択肢を伝える場でありたいということ。

そして、こういう形の誇りあるお産があるということを紹介したい。

もしかするとこの話を見ていただいた方はざわつくかもしれないし、
いろんな感情が湧くかもしれません。是非その気持ちをシェアしていただきたいと思います。煌さん、魂からの声を聞かせてくださってありがとうございました!

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