出産体験談№92 母を想うお産

病院出産

長男を支える手つきが初々しい、26歳のわたしです(笑)

この記事の見どころ

・お産よりもつわりの方が大変!
・母の死や、離婚に再婚…いろいろあった。
 どれも、他人にセッションをするうえで必要な経験でもあった。
・会陰切開した時としなかったときの違い。
・わたしが亡くなっても、子どもたちに引き継いでいけること。

26歳第1子 (長男)
30歳第2子 (次男)
37歳第3子 (長女)
39歳第4子 (次女)病院出産
兵庫県 まこさん(Blueprintナビゲーター)

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

まこさん
まこさん

一番印象に残っているのが

3度目、36歳の妊娠。

離婚後、未婚時での妊娠です。
お付き合いしていた彼はいたけれど
結婚に対して漠然と不安もあった。

そんな背景があったので、
「どうしよう?」って瞬時に悩んでしまった。

同時に、こうやって考えてしまう状況で
妊娠すること、赤ちゃんに
申し訳ない、と思いました。

当時の彼は思いの外、
突然の妊娠を落ち着いて受け容れてました。
彼は初婚なので、もちろん紆余曲折はありましたが
無事、再婚。
今に至ります。



お産のイメージ

まこさん
まこさん

痛いとか怖いと思ったら、
そうなるんだろうな。

わたしにできないわけない!
若い子も、みんながしてきたことだし!
という感覚でした。

お産は4回経験しましたが
毎回微弱陣痛でとにかく時間がかかるのです。
いきみをのがすのが大変という言葉を
よく聞きますが、わたしは耐えるほどの痛みもなく
どんな痛みなのだろう?と思っていました。

7㎝くらい子宮口が開いても、自分でジュースを買いに行けたり。

とはいえ微弱だからとにか時間が長く
陣痛と陣痛の間には疲れて寝たりします。
はじめての出産は48時間かかりました。

お産のリアル1人目

まこさん
まこさん

長男の時はソフロロジーが流行っていて
産院からテープをもらって
毎晩聴いていました。

予定日より8日間、早かったけど、
なんとなく痛いし、計ると5分間隔。
病院へいくと
「子宮口が5㎝開いているから帰らないで 」
と言われて待機しました。

病院は助産師が主体となった院内助産院のようなスタイルで、
母子同室、母乳を大切にしている病院でした。

いざ分娩台に乗っても
痛みが弱いためいきむことがよくわからなくて
そのうち血圧が高くなってきたので
病院の先生がお腹の上に乗って
押されて出てきました。

赤ちゃんも長いこと産道にはまっていたので
七福神の福禄寿かっていうくらい
頭が長かったです。

会陰がさけてしまい、痛みがひどくて
産後は立ってご飯を食べました。

まさに満身創痍で、世の中のお母さんに
尊敬の念が湧いたのもこのお産でした。


長男を支える手つきが初々しい、26歳の私です(笑)

お産のリアル2人目

まこさん
まこさん

2人目ではかくて3800 g 。

偶然にもお産介助が、勤務中だった友達に。

これがなかなかスパルタで。
分娩室に乗ったものの、強い陣痛が来ないから
分娩台から降ろされました。
泣きながら陣痛室に歩いて戻ったのを覚えています。

次男のお産時に、初めていきむという体感をしり
赤ちゃんがグッと下におりたのがわかりました。

のちにこれが最初で最後なのを知る(笑))

長く粘ったことでいいこともあって、
今回は会陰切開はなし。

それは友達の助産師さんが、介助しながら
ずっと会陰をマッサージして薄く伸ばしてくれたお陰です。

産後も一番楽で、出産2時間後には
自分で入院の荷物の整頓をしていました。



次男が生まれたとき、長男はとっても喜んでくれた思い出。

お産のリアル3人目

まこさん
まこさん

つわり再び。
「これを忘れていたなんてバカだなわたし。」
「なんで忘れてたのー!!」


初産から10年空いた3人目。
やっぱり悪阻がつらいのでした・・

妊娠4週目でつわりがはじまり
9週目には7キロやせて入院。
悪阻は終わりの見えない苦しさがありますね。

お産はいくら苦しんでも2日くらい。
悪阻に比べたら楽!と思ってしまいます。

今回のお産もやっぱり微弱陣痛!
またもやお友達の助産師さんが担当してくれて、
分娩台にのっとく?っていうノリで移動し
言われるままに3回踏ん張ってみたら産まれました!
経産婦って怖いわー(笑)と言われました。

初めての女の子は華奢でふわふわ。良い匂い。
久しぶりの赤ちゃんを堪能しました。

お産のリアル4人目

まこさん
まこさん

4人目で初のNICUを体験。

お産まではスムーズで5時間ぐらいで生まれました。
この子だけ、カンガルーケアで
おっぱいをあげようとしても、
顔を背けて、口を開きませんでした。

その日の夜遅くに、「落ち着いて話を聞いてね?」
って言いながら、血だらけのバスタオルを見せられ
新生児メレナの説明を受けました。
娘はそのままNICU に入院。

大きく産まれて、元気に泣いていたことで
母の勘としてはまぁ…大丈夫かな?と思いつつも不安でした。

先生達が 冷静に対処されていたので、焦らずに済んだのだと思います。
赤ちゃんをおいての退院も初めてだったけど
この子が一番病気知らずで、元気に大きくなりました。

次女が生まれたとき、
2歳差の長女は思っていたよりしっかりお姉さんになって
びっくりした思い出。

産後の気持ち

まこさん
まこさん

なによりの変化は産み終わると舌が変わること!!

なによりの変化は産み終わると舌が変わること!!
とくに4人目は妊娠中、全てが臭くて!
お肉もお魚も、だめ、ってなっていたのが、
産み終わった途端に、なんでも美味しくなる!
悪阻は本当に不思議な体のシステム。

当時の自分にかける言葉

まこさん
まこさん

1人目を産んだときの自分に、、
ちゃんと幸せになるから、大丈夫だよ
って伝えたい。

今回、ほぼ20年前の自分の写真を見て、
私、こんな顔してたんだ?と
なぜかとても驚いたの。誰これ?くらいに。

その頃の私は、
人に甘えるのが苦手で…
今よりずっと自信があったはずだし
気が強くて…いつも何かと戦っていた(笑)
いつか、もっと幸せになるんだって信じていました。

2022年の私から、
全部全部叶うから。大丈夫。
だから、そんなに1人で頑張らなくていいし、
肩の力抜いて、楽しんで生きて欲しい~と伝えたい(笑)

もともと子どもを産み育てるって特別なことではなくて
当たり前にいつか自分も「お母さんになる」と思っていました。

三姉妹の長女なので妹たちや小さな従妹達の
面倒を見るのが当たり前の環境で育ったし
養護教諭の経験や、母親がずっと子育てに関する活動をしていたので
子育てが身近だったってこともあるのかもしれない。

地元でいろんな活動していた母が亡くなった時に
亡くなったら、何もかもなくなるんだな、と感じることがあって。
でも、母がしてくれた子育てはわたしの中に残っている。
母は亡くなっても
母の言葉や風習や文化が私の中に生きていて
それを、またわたしが子育てしながら
次世代に引き継いでいくんだなと感じました。

40代も終わりにさしかかり今は毎日穏やかでとても幸せ。
色々な経験してきたからこそ、
伝えられる言葉がある。いまはそう思ってます。
さぁ、これから、母の歳を
元気に追い抜いていくぞ!と思っています。

亡き母が初産の時に買ってくれた腹帯と、私自身の母子手帳とへその緒、
それから保育園の連絡ノート 大切な形見になりました。

まこ

https://lit.link/couronne260256

●Blueprintメッセージ
空の上で決めてきたことをお伝えするお仕事
あなただけのBlueprintを一緒に紐解きます。

●Couronnne
オリジナルサンキャッチャーの製作販売
オンラインワークショップの開催をしています。

●sharingspaceりもまむ
オンライン上のシェアリングスペース
個人事業主のママさん同士が気軽に集えるWeb上のcafeやってます!

編集者より一言

まこさんはTwitterのご縁でつながり、
プロジェクトメンバーとしても一緒に活動していくことになった方です!
色々と大きなイベントを開催されたりしているまこさん、その活力ってどこにあるの?
女性は、子どもを産むと社会性が芽生えて、それまでの個から社会に還元する
動きをする人が出てくるという話を聴き、
そのパターン?、と思って聞いたら、、
お母さまの影響が大きい、とのことでした。

子ども達は会ったことのないばあばだけれども、
今でも、よく子どもたちに、ばあばがこんな風に言っていたよ、
と話をするそうです。
きっと、お子さんたちにとってそれはおばあさんを身近に感じるでしょうし、
そうやって、親から子へ伝わっていく命のつながりについても
想いを馳せる時間になりました!

まこさん、貴重なお話をありがとうございました!

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