出産体験談№.50 自分を信じられたお産

助産院出産
この記事の見どころ

・一人産むごとに、こうあるべき、という枠が外れた。
・おむつなし育児という育児法と、お産がリンクしていた。
・助産院の良さがよく伝わる。
・お産と子育てを通してどんどんありのままに生きられるようになった。

30歳第1子(長男/子ども3人)
33歳第2子(次男/子ども3人)
35歳第3子(三男/子ども3人)
病院出産・助産院出産 
神奈川県
小栗悠子さん(元保育士・元幼稚園教諭、おむつなし育児アドバイザー取得)

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

悠子さん
悠子さん

授かるってこういうことなんだ!!

実は、28歳で離婚をしました。
とっくに愛はなくなっているのに
「子どもがいたら、わたし達の関係が修復するかも?」
そんな思いで、
計画してつくろうとするも、
なかなかできなくって。
不妊治療も考えていました。
子どもを自分たちの都合でつくろうとしていたんです。
結局結婚生活は荒れ果てて離婚。

不思議なのですが、
すぐに
「この人の子どもが産みたい。心から幸せだな」
と思える人と出会ったんです。
それが現在の夫。
すぐに赤ちゃんが来てくれたのです。
授かり再婚でした。

この時、
赤ちゃんって人間の

「どうしたい、こうしよう」
っていう想いを超えたところで
授かるんだって、理解しました。

職場の先輩に
「子どもはつくるものじゃないの。
授かりものなのよ。」

と言われ
当時はピンとこなかったのが、
今ならとても理解できます。

悠子さん
悠子さん

2人目、
やっぱりすぐに来てくれて、
すごく幸せだなぁって思った。

もう一人増えたら幸せだなぁと思ったタイミングにすぐ来てくれました!

悠子さん
悠子さん

3人目、

上2人と同じ感想!
すごくうれしい、

幸せだなぁって。


不思議な感覚なのですが
わたし達2人とも「3人来てくれるかも!」と思っていたんです。
すると、2歳差でとんとんとん♪って。
わたし達を選んで来てくれてありがとうという感じでした。

お産のイメージ

悠子さん
悠子さん

一人産むたびに、〇〇べき、という枠が外れていった。

1人目の時は、
やっちゃいけないことばっかりの
イメージ!
歩いて、と言われても、
おっかなびっくり。ビクビクしていて全然歩けませんでした。
それがおむつなし育児※
に出会ったことで
なんだ、いいんじゃん!!と気づけた。

もっと自分の思った通りでいい!
自分が 型にはまっていたことに

気がつきました。

妊娠中もとっても楽しかったし、
自然なお産をしたいなという
気持ちに。

そこで2番目はフリースタイル出産を
選択、
このお産を通して自分の身体への信頼を取り戻した感じ。

3番目のお産は
動きたい時に動けばいいんだという
イメージで、
もうやりたいようにやった、
とっても幸せな妊娠期間
でした。

おむつなし育児
赤ちゃんの排泄欲求に気づいて
おむつに頼らずに
排泄習慣をつけていく育児法。
おむつなし育児についてまとめた記事はこちら!
おすすめ:№2おむつなし育児
こちらでは妊娠・出産・育児に関するお勧め情報をpick up!!自然派ママ、現在ゆるっと3人兄弟母ちゃんとしてお勧めしたい情報が山もり♬話し相手は我が家の子ども♫・・でいこうとしたら断られたので(ぐす・・)それぞれのキャラを組み合わせてます

助産院での健診の様子。
家族みんなで行きました。

お産のリアル第1子 壮絶なお産

悠子さん
悠子さん

壮絶だったけど、
お産について、

自分と向き合うきっかけになる必要な体験だった。

近所のクリニックで産みました。

ずっと陣痛の監視装置に繋がれて
モニターばかりを眺めて、
動いて外れるとピーという警戒音が鳴る。

動きも制限されて、
怖かったし、
ものすごくストレスでした。

一枚のカーテンで仕切られた部屋、
何人もの妊婦さんのうめき声が聞こえ、
「わたしはこれからどうなっていくのだろう?」と
おびえていました。

その中で5分間隔の陣痛が27時間続き、
子宮口も開かず夫と二人で
不安な眠れない夜を過ごしました。

生まれた赤ちゃんは
首にへその緒が巻きついていて、
青い色の赤ちゃんでした。

抱っこをせずに保育器に入ってしまい、
わたしの方は気が付いたころには
会陰切開をし、
出血大量で、
貧血を起こして
その場で倒れてしまいました。

この時のお産の体験はあまりにも
壮絶で自分の感情を
置いてきぼりにしてしまった感覚が

ありました。

・・こんなはずじゃない、
何かが違う、
その何かってなんだろう?

そんな思いからいろいろと
調べるうちに
吉村正さんの「幸せなお産をしよう」や、
大野明子さんの
「分娩台よ。さようなら
ーあたり前に産んであたり前に育てたい」という著書に
出会いました。

吉村正(よしむら・ただし)先生
「お産は文化である」。お産というものに命懸けで取り組まれた「自然なお産」の第一人者。2017年秋、永眠。今もなお、自然なお産を大切にするお母さん方や医療者をはじめ、多くの人びとから尊敬され、慕われている。著書多数。
引用元サイト:HP吉村医院 産婦人科 より

大野明子(おおの・あきこ)先生
産婦人科医。1999年より杉並区にて「お産の家 明日香医院」開院。分娩台も手術室もない。 ご自身の仕事を「女性が産む力・育む力を最大限に発揮できるよう. 全力でお世話すること」と語るも、2011年、明日香医院は惜しまれながら閉院。著書に『分娩台よ、さようなら』『子どもを選ばないことを選ぶ』『いのちを産む』。

そこにはパクパク、ゴロゴロ、ビクビクの生活改善
と書かれていました。
わたし、ずっとビクビクしていたなって気がついたんです

そこで、過剰な医療介入はいらない。
2人目は分娩台はなくてもいい、
自然なお産をしたいという気持ちに。

とはいえ、
夫は前回のお産を考えると
(わたしの大量出血の現場を目の当たりにしているので)
何かあった時に
ちゃんと対応してもらえる場所を希望。

そこで今度は近くの病院で、
フリースタイル出産ができる病院を選びました。

この時はまだ2人とも、
「大丈夫」って言い切れない気持ちもあったんですよね。

お産のリアル第2子 自信を取り戻したお産

悠子さん
悠子さん

わたし達自身が、
自信を取り戻せた。
何があっても大丈夫と思えるお産でした。

さて迎えた2番目のお産。
すっごく気持ちよかった。
自分の好きなところで
好きなタイミングで動けたり。

看護師さんにも助産師さんにも
「もっとこんな風にしてみたら?」と
言われて、
「そうですねー」と話しながら
今回は赤ちゃんと息を合わせて自分の身体の声を聴きながら
身を任せて
産むことができました。

出てきている頭を触ってみたら?
と言われて
キウイフルーツみたいな頭に

夫と一緒に触ってみたり!

「産まれる瞬間」をすごく楽しめたんです!!

出産てやっぱりそうだよね!!
こういうもんだよねっていう感覚を

体験しました。

病院の先生は最後にちょっと来て、
確認して
すぐに終わった感じ。

「自分達で産めた!」、
自分のスタイルを見つけられた
気持ちになりました。

生後2日から始めたおむつなし育児も、
すごく面白くって!

赤ちゃんって
はじめから意志を持って産まれてきて、
ちゃんとおしっこが出る、
うんちが出る、
その感覚もわかっているし、
サインも出している。

お産のあり方と
おむつなし育児のあり方が
リンクしていたような感じ。

これだったら「大丈夫」と思えた。
そして3人目、
助産院に行くことにしたのです。

お産のリアル第3子 ずっこけたお産

悠子さん
悠子さん

このお産を通して、また、たくさんのことを学びました。

そんなわけで、
もう助産院しかない。

夫も、「俺はもう大丈夫だよ。
あれを見たら大丈夫だと思えたよ」
ということでした。

助産院は森の中の一軒家。心地いい風が吹き、
「ここで産みたい」と入った瞬間に
思いました。

家族で説明を聞いた日が、
たまたまお友達の赤ちゃんが
そこで生まれた日で。

その時のお産の様子や、
お友達の感想もすごく良くて、
「もう絶対ここ」と、
気持ちが固まりました。

その後の健診でも、
助産院は一人一人にすごい時間を

かけてくれている。
そんな経験、

今までなかったんですよね。

それから、
「妊娠中ってこんなに動いていいんだ!!」と
驚きと発見の連続でした。

臨月になったら、
お尻から階段をおりて、
お尻にガンガン刺激を与える体操とか、
階段を後ろ歩きで降りなさい
(重力をかけるように)、とか。

動いていいし
妊婦って健康なんだということが

わかりました。

おかげで、
その時々のやりたいことを

存分にやれた。
妊娠8ヶ月で餅つきもしました。

臨月、お友達の農園で
大根抜き体験ができると聞けば、
わたし:抜きたい!
夫:抜きたいなら行こう

と、家族みんなで体験、
その日に破水が起こりました。

本能のまま欲求のまま、
その時の自分を思い切り
楽しめた感じ。

このときはもう、やりたいことを
全部やれた満足感でいっぱい!

真夜中の破水で息子はまだ眠っていたので、
タクシーでわたしだけ助産院へ。
その時は
「まだまだ赤ちゃんはお腹の上の方にいて、
よく眠っている。
まだまだ生れてこなそうだね」
と、いうことで、
いったん、休むことに。

その後、院長先生が
「お腹すいた?おにぎりあるよ。どうする?」と
おにぎりと卵焼きを持ってきてくれました。
初めての破水で、不安だった心が、
一気にほぐれたやさしいおにぎり。
あたたかなお家の様な雰囲気で、とても落ち着きました。

それからだんだん日が昇り、
助産院の朝の生活が始まり、
朝食の準備、助産師さんの
子どもたちの声が聞こえる中・・、

強い陣痛、赤ちゃんが
一気に降りてきました!

誰かを呼ぼうにも
朝の生活の音にかき消され、
わたしの声が届かない。

そうこうしているうちに
助産師さんが様子を見に来てくれて、
「もう頭が出ているーー!」
そしてそこからはスピード勝負!!


ズボン・スカート・靴下を一気に脱がせてくれて
一回いきんだら、出てきました(笑)

なんと・・お産が早すぎて、
夫も子どもも、
誰も立ち会えなかった(笑)
助産師になる夢を持つ友達の娘さんと友達も
立ち合う予定だったのですが、、(笑)

助産院の朝の日常の中で始まったお産。
お産って特別なことだけど、
日常のひとコマ、
特別なんだけど特別ではないな、
日常の中にお産があるんだな….と思いました。

結局、バースプランとは全然違うお産だったけれど、
赤ちゃんらしく、わたしらしくいられた、
そんなお産でした。

このお産で学んだことは、
自分の思った通りにならないよね。

「こうじゃいけない」、という思いがあると
苦しくなっちゃうんだけど、
そこを
「そうきたかーー」と、
面白く受け取れたら・・

子育てがもっと愉快に、もっと自分らしく、
楽しめると思います。

お産を通して
どんどんありのままの自分に
なっていきました。

当時の自分にかける言葉

悠子さん
悠子さん

辛かったりこんなはずじゃないと
思ったことも
全部繋がっていくから大丈夫。

子どもたちには、
お母さんになりたかったわたしを、
お母さんにしてくれてありがとう。
って言いたいです。

つくづくお母さんてすごい。

お産や子育てって
どんな仕事よりも大事な仕事。

すごく価値あることだし、
何よりも神々しい仕事だと思います。

子どもたちそれぞれから学びをもらった

悠子さん
悠子さん

第1子はファイティングボーイ!
おなかの中からずっと同じ、頑張り屋。

妊娠中の仕事やお産のハードさにも耐えた人。
第1子のお産で、
こんなはずじゃなかった。
なら、どうしたいのか?と、
気が付けた。

悠子さん
悠子さん

第2子はサプライズボーイ!
お腹の中からずっと同じ。
観察する人。

「自分で産む」経験ができたし、
わたしの誕生日に
生まれてきてくれたんです。

悠子さん
悠子さん

第3子はロケットボーイ!! 

お腹の中からずっと同じ。
我が道を行く人。


イメージしていたところから
ずっこけた(笑)。
今でも、
「俺は思い通りにいかないよ」
というタイプ(笑)

子育てをしながら三者三様、
1人1人違うんだなって

教わっています。
授かった時からすでに
繋がっているよね、
ということをすごく感じます。

どんどん、どんどん、
自分が

自分らしくなっている。

そんな感覚で、
今、子育てを楽しんでいます。

産後過ごした、助産院の部屋。


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編集者より一言

悠子さんは、
以前参加してくれた
おむつなし育児をされている糸井真理子さんからのご縁で
参加していただきました。

おむつなし育児を通して
感じることと、
お産がリンクをしていたこと。
3人のお産を通して悠子さん自身が身軽に、
どんどんご自身が楽しく、
楽に生きられるようになったこと。

目を輝かせてお話しして下さり、
聞いているわたしも
パワーをいただきました。

余談ですが、記事の最高尾に、
載せた助産院の部屋はわたしもお世話になった部屋でした。
とても素敵な助産院なんです。

悠子さん、素敵なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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