・My助産師制度を使った出産
・望み通りのお産をあきらめない。
夫婦二人三脚での出産物語
・病院でリラックスしたお産になった秘訣
30歳初産(長男/子どもは2人)
助産院出産→病院出産、帝王切開へ
My助産師に妊娠中から伴走してもらいつつ、出産
32歳第2子(次男/子どもは2人)
My助産師制度を利用しつつ、VBAC(ブイバック=帝王切開後の経腟分娩)
病院出産 ※withコロナのお産
兵庫県・北海道 高橋宏美さん・伸吾さん夫妻(北海道で『お産を語る会』主催)
※お2人の活動については、記事末尾に説明してあります
妊娠がわかったときの気持ち
僕たち妊娠しました
嬉しいしかない!
よく聞くのは「妻が妊娠した」と言うセリフ。
でも僕はこの時、
「僕たち妊娠しました」。
一緒に妊娠している感覚だったんです。
実は助産院で産んでほしいと言ったのも僕から。
妻はそれまで助産院についてはあまり知らなかった。
「あなたが産むんですよ」という言葉がすごく響きました。
夫が勧めるので
一度そんなに言うなら、と、
助産院の妊夫講座に参加したんですね。
その時に「あなたが産むんですよ」
と丁寧に丁寧に
お話をしてもらいました。
それがとっても心に残って。
その後、夫婦、家族と何度も話し合って、
My助産師さんに伴走してもらって
助産院で出産することにしました。
助産院は、おばあちゃんちに来たような、あたたかくて、ほっとするような空間でした。
助産院での健診は、お話しから始まって2~3時間ほど。
妻のことをじっくり見て、話して、理解してくれようとする助産師さんの姿勢は他人ごとだと思っていないことが伝わります。
健診がとても楽しみでした。
My助産師さんがいるってどうでしたか?
助産師さんに夫婦関係を築いてもらった
My助産師さんはとても良くしていただきました。
お父さんを仲間外れにしないんですよね。
「こういう時に妊婦さんは辛いからこうするといいよ」
と教えてくれたり
「会陰マッサージをすると会陰が切れないよ」
と聞いたので僕がしたり。
妻から「こうしてほしい」と言われると
きっとお互いイライラしたと思うんです。
妻は「そうじゃない」ってなったり、
夫は言ってることを素直に受け取れなかったり。
それが第三者のアドバイスだったことで
スムーズに夫婦関係を築くことができた。
助産師さんに夫婦関係を築いてもらったように思います。
第1子の出産は思ってもいなかった展開に。
乗り越えられたのは、助産師さんのお陰。
1人目は助産院を希望しましたが、
助産院では産めませんでした。
このお産は、思ったような展開ではなかったので
本当だったら慌てたりなんだり・・、
色々あると思うんです。
でも、My助産師さんが
ずっと支えてくれていたおかげで、
この急な展開も乗り越えられました。
お産のリアル 第1子 即断即決した緊急帝王切開
何かあった時は
赤ちゃんからのサイン。
お産がなかなか進まず、
病院に搬送されました。
帝王切開にするかどうか、
意思を確認するとき、
「はい。お願いします。」と、即断即決。
この時、もう子宮口は9センチ。
お医者さんも、助産師さんも、
わたしの希望をよくわかっていて、
もう少し頑張ってもいいかもしれない
という迷いも感じられました。
でも即、決断をしました。
助産師さんがここまでやってくれた、という
想いもありました。「これが、わたしとこの子のお産」と、
納得できた。笑っている私の横で夫は泣いていました。
妻の強さに泣きじゃくりました。
やっぱり男はこういう時、何もできない。
結果、お腹を開いたら、
何万人に一人という病気が見つかった。
命だけは助かった。
今にして思えば赤ちゃんからの
メッセージだったんだと思います。
このまま産んでは危ないよ、ということで
帝王切開になったんじゃないかな。
お産は、
まるで経膣分娩をしているように声をかけてくれました。
「頭が出てくるよ」
「はい、体が出たよ」
「はい、今、全部生まれたよ」って。
産道を抜けていくような、そんな感覚になりました。
術後、
お医者さんに言われた言葉が忘れられません。
「あなた、よく決められたね。
本当にすごいなと思ったよ。このお母さんは心底強い。そう思ったよ。」
と、お産の後に握手をしながら言ってくれました。
実は・・、
それまで病院にあまり良いイメージがなかったのですが…
蓋を開けたら、
めちゃくちゃ仲良しに。
自分でどう意識してるのかが
すごく大事なんじゃないかな。
心がけていることは、
オープンマインド。
そのおかげで、病院の皆さんと、
信頼関係を築くことができた。
ただただ無事で良かった、と涙があふれた
僕はずっと横にいて立ち会っていたけれど、手術の時だけ外。
やっぱり心配で、
2人とも無事にいてほしい、
ただそれだけ。
ケースに入って運ばれてきた赤ちゃんを初めて見た時は、
無事で良かった、と涙があふれました。
お産のリアル 第2子 自分の大舞台、自分が決める!
2人でお産に向き合いました
京都から北海道へ、
Uターンをしての出産。
コロナ禍で、病院はどこにしよう、
と悩みました。
まずは自分が生まれたところに
行ってみよう、と
僕が生まれた小さなクリニックへ。
そこで、「もし VBAC(=ブイバック/帝王切開後の経腟分娩の試み※)
を希望するならこの先生」と
お勧めしてもらい、
病院に行ってみることに。
VBAC=ブイバック
帝王切開後の経腟分娩の試みが成功したら、こういいます。
本来、帝王切開後に経腟分娩にトライすることは、トーラックと言います。
ところが、
初めてあった時の先生のスタンスは
「俺が産ませてやるから安心しな」(吉幾三似)
これはちょっと望んだお産にはならないかもしれない・・
いや、あきらめずに、
いろいろやってみよう!
そこからは夫婦二人三脚!
お医者さんにラブレターのような手紙を
何時間もかけて何回も書き直して、
3回渡したりしました。
そんなこんなのお陰か、
わたしたちの健診だけ、
必ず助産師さんとお話する時間を設けてくださいました。
この時すごく印象的だったことが
あります。
病院側とアプローチしているときに
僕の妻が「不安なんです」って泣いていたんですね。
全然泣かない妻が!!
「自分の為に泣いたわけじゃないんだよね。これから病院で産む人のためでもあるんだよね?」
と聞いたら、
「うん、そうだよ。なんでわかったの?
思いが溢れちゃって泣いちゃったんだよ」という返事。
・・この人本気だ!!
一緒にやっていこう、
この人なら、ブイバックも絶対成功させるだろうって感じました。
毎回の健診を通し
徐々に院内を自分のテリトリーにしていく妻・・!!
鋭い眼(まなこ)をしていましたよ。。
高橋さんだししゃあないかあ。と思われたらラッキー♪
(先生にも助産師さんにも覚えてもらえる人になる(患者ではだめ))
この病院でのお産は、
初めて北海道でお産を語る会を
開催した時に
参加してくれた助産師さんが
My助産師さんとして
付き添ってくれました。
毎度の健診では
たくさんの小豆を炊いてくれたり、
いつも色々を気にかけてくれたので、
直前まで
自宅出産みたいな気分で過ごせました。
お産の当日、その場にはいられなかったけれども
(コロナ禍の影響で立ち合いはできませんでした)
LINE の電話をつないで、
夫も助産師さんもそばにいてくれるような感覚に。
3回のラブレターが功を奏したか、
先生ともすごく仲良しに。
お産自体は37週で計画分娩。
医療介入受けながらの陣痛。
この時はすごい楽しみになっていました(笑)
バルーン入れて促進剤入れて・・と、
陣痛が進まないと
医療介入が増えていくのですが、
わたしにとっては、
いろんなお母さんのお産に寄り添える、
引き出しが増えたような体験。
ずっと『川の流れのように』を歌いながら陣痛のがしをしていました。
お産は日常の中のこと。
たとえ病院でも、
常に身につけてるもので
リラックスしている状態に
自ら持っていくようにしました。
例えば病院で用意される服では、
落ち着かない。
だから自分の自宅で着ている服を
着たり、
ヘアバンドを用意したり。
今にして思うと、
1人でお産に立ち会うことで向き合えて良かったなと思っています。
赤ちゃんの呼吸も自分で感じることができました。
わたしがまだリラックスしていたいと思っているときに、
「さぁ分娩台へ」と言われたので、
「まだです」と伝えると、
「ギリギリまでいいよ」って言ってくれました。
大きい鏡も自分で用意して、
頭が出たり入ったりする様子もそれで見ました。
わたしとしては
「高橋さんだし、しゃあないなぁ・・ 」と思われたら、しめたもの。
人生最大の大舞台。
自分のコントロールにしなきゃもったいない。そう思うんです。
自分と赤ちゃんの呼吸に集中でき
動きも感じることができた2人目のお産。
へその緒も自分で切らせてもらったり、
カンガルーケアしたり、
私の願いを叶えようと
全力だった先生や助産師さん看護師さん。
ありがとうございます。
退院する頃には病院の皆さんと
仲良しに。
My助産師さんが妊娠中から
寄り添ってくれたおかげで、
わたしたち家族は
頑張ることができました。
退院後、すぐその助産師さんの元へ
産後ケアも利用しにいき、
家族4人での生活の基盤を
一緒に整えてもらいました。
長男も妊娠中からMy助産師の助産院健診に
一緒に付き添ってくれていた
(総合病院はNG)
そのおかげで生命の成長を
共に感じることができ、
産まれてからも弟を
一生懸命可愛がってくれています。
そして、My助産師のことも大好きです。
経腟分娩は怖かった
どこか気持ちに蓋をしていた部分があった。
正直言うと、
経膣分娩は怖かったんです。
ブイバックを望むのは、
自分のエゴなのかなと思ったり。
そこで、自分で納得するために
色々と調べました。
結果、ブイバックが海外では主流。
主流の理由、
そして帝王切開のリスクについて
知りました。
必ず信頼のあるドクターに
自分の子宮の状態を妊娠中からよくよくみてもらうことも大切です。
ここで大事なことは
わたしは帝王切開をしたら、
次は経膣分娩をした方がいい、って
勧めているわけじゃないということ。
選択肢として、
そういう可能性もあるよ、ということを伝えたいんです。
こちらは、妊夫講座でもらった
「妊産婦憲章」です。
この10か条は病院出産のときに
とても役立ちました。
(編集者注:こちらでも紹介↓)
自分が安心して産める選択をすればいい
一番大事なことは、
自分が安心して
お産に挑めるということ。
安心感て人によって違うと思うんです。
自分には何がいいのか?
自宅が安心なら自宅、
あたたかい助産院、
新生児治療室がある、
大型病院の方が安心する人も
いると思います。
そういうことを考える機会としても、
『お産を語る会』を開催しています。
いろんなお産の在り方を知って、
自分なりのお産を考える機会にしてほしい、そう思っています。
お産を語る会、産後3ヶ月の頃再開。
参加者さんも私たちも
涙あり笑いありの語る会。
これからも続けていきます。
当時のわたしにかける言葉
「俺が産ませてやる」という先生が、
最後には
「君達の望みを叶えたよ」と言ってくれたこと。
すごい変わったな、って感じました。
当時は望み通りの出産は、絶対無理だな・・と、
思い込んでいたので、変わるよって伝えたいですね。
色々よくやったね。諦めなくて、よかったよ。
3人目も楽しみだね。
高橋伸吾さん・宏美さん夫妻は
こんな活動をしている
北海道人の夫と関西人の妻で始めた
でいだらぼっち。
お産を語る会 を道内各地で開催。
お産を語る会では 産前・出産・産後のことを語り合う場を作る。
語る事で自分でも気がつかなかった
想い に気づき、
その想いを他者と共有することで
「気づきの連鎖」が生まれる。
自然と笑いや涙が溢れるような、
そんな会。
北海道各地で助産師さんとママさんパパさんの出会いの場になっている。
現在はメンバーも増え、
助産師さんや父親母親メンバーと共に
北海道全域での開催を目標に活動中。
「いのちの始まりのお産を
大切にできたら、
すべての命を大切にできる
あたたかい社会になると信じて。」
僕たちにできることを。
続けていきます。
高橋
高橋夫妻の活動については、こちらに詳しくまとめました↓
ぜひこちらも併せてお読みください。
編集者より一言
高橋ご夫妻は、沖縄の助産院むすびやさんに
My助産師制度を使用したご夫婦ということで、ご紹介いただきました。
ここまで、
お産のことに心を傾け、
自分のお産だけではなく、後に続く方のことを考えて
お産が出来る方も珍しい・・!!
お話しをしながら、
こうありたいと願うこと、
かなえていくこと、
何より妊産婦さんへの愛と高橋ご夫妻の愛情が感じられて
とても刺激を受けました。
高橋ご夫妻のこれからの活動も楽しみです。
1人でも多くの妊産婦さんが、ご自身の納得のいくお産となりますように。
そしてこの記事がその手立てになれたら幸いです。
高橋伸吾さん、宏美さん、貴重なお話をありがとうございました。
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