出産体験談№.42 本能全開のお産

助産院出産
この記事の見どころ

・「ポン!と生れた」お産、「快感出産」、「本音に気づくお産」
・お産を経て変わった子どもを育てる価値観
・子どもは社会からの預かりもの、手放すことも視野に入れた子育て
・自分の人生を歩むということ

27歳初産(長男/子どもは3人)
病院出産
30歳第2子(次男/子どもは3人)
助産院出産
33歳第3子(3男/子どもは3人)
助産院出産
東京(当時)/ 神奈川県 高橋フミカさん(カメラマン)

お産のイメージは?

怖い、ということはあまりなくて、、

フミカさん
フミカさん

「フミカ、いっきまーす!!」
みたいなテンション。

色々とあれをしよう、これをしようって
楽しみに思っていたのですが、、

実際のお産は楽しむほどの暇もないほど早くて!!

わたしは本能で生きているな、って改めておもいますね。

お産のリアル第1子 ポン!と生まれたお産

フミカさん
フミカさん

産むのは簡単でした!

私立病院で産みました。

その地域で豪華で、
ご飯が美味しそうな病院を選びました。

その結果が、、大失敗!!

そもそも母乳育児をしたかった
わたし。

そこの病院はミルク推進派
だったんです!!

院長先生は良いと言われていたけれど、
お産て、だいたい夜中、、。

院長先生は当然いない。

結果、大学生みたいな女医さんになりたてホヤホヤの先生がついてくれました。

お産はポンと生まれた!
下に引き出しがあって
勝手に生まれてきた感じ。

ただ、赤ちゃんが生まれた時、
結構、
会陰が裂けてしまってて。

針で縫う時に、
そのお医者さんが持っている針 か、糸が、
周りの助産師さんや
看護師さんがざわつくようなサイズを
持っていたみたいで(笑)

「先生、本当にその太さでいいんですか、、」
ザワザワザワ、、というような声が
聞こえたりして、、ほんとね、、(笑)

先生や助産師さんからの指導は何もなく、
いついきんでいいのかもわからない。
呼吸もわからない。いつ出るんだ?という感じ。

けれどもまぁ、、無事に終わりました。

お産のリアル第2子 快感出産

フミカさん
フミカさん

お産は変身人間!!

自分がどんなお産と子育てをしたかったのか、
1人目のお産が終わり、
2人目を妊娠した時にすごく考えました。

考えた結果、
助産院にたどり着きました。

助産院では すごく気持ちのいい
お産を体験しました。

お世話になった場所は有名な助産院、
松が丘助産院でした。

先生は厳しい方であなたとあかちゃんのために言うのよ、
と、行くたびに心地いいお叱りの言葉を頂いていました。

甘いものが好きなわたし。

行くたびに体に触れると「また甘いもの食べたでしょ。体冷やすんですよ」
と言われてました。

お腹を触るだけで、検診までのあいだに何を食べたってわかっちゃうんですよ!!

すごい !!

そこの指導では

  • 一日一万歩。
  • 綺麗な食べ物 
    いわゆる 添加物が一切入っていない、質素な食事。

運動とちゃんとした食事というのをすごく大切にしているところでした。

お灸とマッサージで体をほぐしたり、
緩ませてもくれました。

このお産では、原始的な 本能を全開にした 自分に出会いました 。

気持ち良さを体験するには原始的な体に戻す必要があったのかな。

覚えているのが、
体が生まれる瞬間に
メリメリメリメリってする感じ!!

変身人間!!

お産て、体の構造ごと変えられちゃう!!

この時は胎盤も食べました。
馬刺しみたいで美味しかった 。

今はできないようです。

胎盤食(たいばんしょく)

胎盤を食べること。この話、結構耳にします。ポジティブな話としては、食べることで母乳の出がよくなる、栄養がたっぷりなので元気が出る、産後うつが軽減する、母親の精神が安定するなど。海外では生食の他、乾かして粉末にしてカプセルにして飲む、冷凍して少しづつ食べる、などの方法で食するようです。一方、科学的根拠はない、衛生面で心配などの声もあり、ネットでも賛否両論多数あります。

編集者的には、食べた方は(フミカさんも)みな一様に”美味しかった”、”馬刺し”というので気にはなっています。が、見てくれ的にチャレンジできなかったです・・。

お産のリアル第3子 本音に気づくお産

フミカさん
フミカさん

3人産んで思ったことは、もう怖いものはない。

3人目のお産も、松が丘助産院でしました。

この時は2回目のお産がすごく気持ちよかったので、どこまでサボろうか、、という邪な考えが、、。

でも毎回、先生にはばれていました。

「また甘いもの食べたでしょ。体冷えちゃうのよ」と、ずっと言われていましたが… 。

結果、このお産は痛いお産でした。

予定日過ぎても出てこない 。
おや、これはおかしいぞ、、と思い出した頃、
一週間過ぎて生まれました 。

長男次男、夫も立ち会ってのお産。

産んだ時に思ったのは、
もう怖いものは何もないな、ということ

三男のお産を経て、子どもを育てることへの
考え方が変わりました。

『わたしの子!』というよりも、
この子たちはいつか世の中に還す子たちなんだな。

言ってみれば、
わたしはこの子たちを社会から預かっていて、
いずれ還すんだ。

ちゃんと一人一人を、
それぞれ生きていけるようになるまで
わたしはサポートして、
時期が来たら、いつかきちんと手放してあげよう。

それが、わたしの子育ての目標。

その目標は三男を産んだ日から変わることはなく、
子育て方針の気持ちもブレることがなくなりました。

わたしと子どもの関係は、『仲間』

フミカさん
フミカさん

20歳以降、私の元に残るのは
誰一人として許さない。

産後、すったもんだありまして、離婚をして、
現在は母1人子3人。

そして、親子というよりも、仲間、
という感覚。

わたしたちは、一緒に生活をし、
それぞれが自立するまでの
限られた時間を共有する仲間。

20歳以降、私の元に残るのは
誰一人として許さないと話してあります。

この生活が終わるのを子どもたちもわかっているから、
みんな、具体的にはわからなくても、
覚悟はしていると思います。

それぞれが自由であっていい。

お母さんために生きなくていい。

お母さんのために勉強しなくていい。

自分のために生きて、勉強するなら自分のために勉強しなさい。

お母さんに相談はしても判断は自分でしなさい。

自分の人生を歩むっていうのは、そういうこと。

そういう子育てをしようと、
覚悟を決めさせてくれた三男のお産でした。

彼のお産がなければ、きっと今、
全く違った子育てをしていたかも。

三男のお産から、
本当の私の子育てが始まったのかもしれません。

当時のわたしにかける言葉

フミカさん
フミカさん

そのまんまで
頑張れ
そのまんまで
いいんじゃない


以上!

子育てのゴール

フミカさん
フミカさん

お葬式で、子どもたちが思い出話をしながら笑ってくれたら・・
わたしの人生は、花丸!!

3人の息子たちは、本当に本当に愛おしい。

それぞれ、お産をした瞬間よりも、
年を重ねるごとに、愛情は増しています。

だからこそ、必ず、それぞれ、時期が来たら家から追い出してやらなくちゃ!
その日が来たら、わたしは寂しくて泣くでしょうが、
楽しみでもあるんです。
わたしの子育てのゴールがそこですから。

きっと、こどもたちは、それぞれの力で、
考えて生き抜いてくれるはず。

そして、いつかわたしの葬式で、
ちょっと変わったお母さんだったね、
すごかったねと、

3人が思い出話をしながら笑ってくれたら
わたしの人生は花丸。

フミカさんてこんな方

カメラマン&映像業。起業して10年目。
20歳の時に免疫異常で眼病発症。
起業後右目を失明。右がなければ左がある!湘南在住3兄弟のシングルマザー。

お母さんと助産師さんとの出会いを作る活動もしています。
助産師さんの相談付き授乳フォト撮影会・助産師さんと一緒に行く
ニューボーンフォト訪問撮影
まんまるおむすびプロジェクト




編集者より一言

人に歴史あり。
フミカさんは湘南地域の起業家さんなら
知らぬ方はいない、
ベテランカメラマンであり起業家さん。
いつも3兄弟とのやり取りが最高に楽しいフミカさん
(皿洗いを踊りながらやると息子にまともに洗ってとお願いされる)
(漢字の読み方をめぐって始まった兄弟喧嘩に混じろうとして
お母さんはいいよといわれてすねる)。
お産の模様も振り切っているわ~と感動!

本能全開、変身人間、
気になるワードてんこ盛り!

本音の見つけ方、
その後の生き方も含め、
フミカパワーさく裂!!
明るくさらっと話されましたが、
女手一つで3人のお子さんを育てていくこと。

微塵も感じさせませんが、
並々ならぬ決意と苦労もあったと思います。
そのフミカさんだから、
「そのまんまでいいんじゃない」
という言葉が沁みる。

まんまるおむすびプロジェクトも素敵な取り組みですので、
赤ちゃんの写真をご検討されている方は是非。

フミカさん、大切な経験のシェアをありがとうございました。

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