・夫と妹の支えで、でっかい息子を出産。なかなか生まれてこず、盛りだくさんのお産体験談。
・妊娠~出産すべて楽しかった!
・助産院→海外での病院出産→助産院出産というお産経験。
33歳第1子(長男/子ど3人)助産院出産
34歳第2子(長女/子ども3人) ミャンマーでの病院出産
38歳第3子(次女/子ども3人) 助産院出産
神奈川県・ミャンマー 川井理恵子さん(看護師・助産師)
赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?
なかなか出産まで至らず、
息子を授かるまで
2回自然流産(初期)をしました。
色々検査をしましたが、
遺伝子検査は高額で断念。
元々、わたしは『国境なき医師団』※で
働いていたので、、
夫と2人で生きていくこと、
守るものがなければ
危険な地域(戦地とか感染症の仕事とか)でも
仕事ができる!
腹をくくった瞬間、息子が到来。
今回もだめだろうなぁ~って
お酒飲みながら様子を見ていたら、
妊娠経過・・順調!!
今回も流れるだろうと思ったのに、
しっかり育っていてびっくり+感謝の気持ち。
加えて、お酒飲んでごめんね~の謝罪の気持ちでした(笑)
国境なき医師団 こっきょうなきいしだん 紛争地や、感染症が繰り返し流行する地域、自然災害の被災地、貧困による医療不足の地域など、約70の国と地域で、医療・人道援助活動を行う。権力からの影響を受けず、自らの決定で医療を必要としている場所へ行くため、活動資金のほとんどは民間からの寄付。1999年、ノーベル平和賞受賞。日本事務局は1992年に発足、医師や看護師などの医療系スタッフのほか、物流や財務管理などを担う非医療系スタッフを活動地に派遣。 参照:国境なき医師団HP
助産院を選んだ時のこと
助産院の最初の印象は家庭的すぎる・・!!
でもそれがひっくり返ったのは・・
助産院での出産を選んだのは
妹が鍼灸師で、「こんなところがあるよ」
と教えてもらったことがきっかけ。
助産院で産む安心感は知っていたので
抵抗なく、
じゃあそこにしよう、と。
、、が実は助産院に行った当初、、
かなり生活感がある雰囲気で(笑)
発展途上国出身の
夫ですらドン引き状態(笑)
というのも、
当時勤めてらした助産師さんのお子さん達も
子連れ出勤のスタイルで助産院に来ていて!!
入院している人、
助産師さんの子ども数名、
常に大勢の人がいて、賑やか。
あまりに家庭的すぎる!!
それが、お産の話をしたときに
院長先生が
「経済的な理由で選ぶのは違うよ。
ちゃんとあなたが安心できる場所を選んでね※」
(※助産院で、お産の経過に特に問題がなければ、
支給される出産育児一時金と
同じ金額の支払いとなるため、
実質、産婦の負担はゼロとなります。
これは施設によって異なりますが、
助産院は高いというイメージとはまた異なりますね)
とお話をしてくれた事にびっくりして。
こんなふうに話をしてくださる場所は、
他にはない。
安心できる場所と感じたんですよね。
そこからは、
毎回の妊婦健診もすごく楽しくて。
妊娠からお産まで、すごく幸せな時間でした。
食べづわりだったので、
かなり体重増加したのですが
体重は基本自己申告だったので、
妊娠後期はかなりサバ読みました(笑)
お産のイメージ
実母はお産の恐怖を口にしたことはなく、
そのおかげか恐怖心は全くありませんでした。
母は5人の出産と子育てをしたパワフル母ちゃん。
出産前まで忙しく仕事をしていて、
陣痛が始まったら、
母は自分で運転して助産院に行っていました。
母曰く
「こんなに簡単に生まれてきて、こんなにお金を払うなんて!」。
そのため、お産のイメージは子どもの頃から辛いものではないと
受け止めていました。
実際、違っていてびっくりでした(笑)
いたずら書きのマタニティペイントは
お産が進まなかったときに
叱咤激励電話をくれた弟が帰国中に安産祈願として描きました。
素敵なはずのマタニティフォトは常にお笑い路線です(-_-;)
お産のリアル第1子 みんなと挑んだ出産
1人目の時は本当に盛沢山のお産でした。
陣痛が来て助産院に向かっても、
表情から院長先生に
「まだまだよ~」、と言われ
夫と妹と公園散歩。
向こうの方で子連れヤンキーママが楽しそう。
若いのに子だくさんのヤンキーママを
心底尊敬した瞬間でした。
介護の散歩の様な写真は夫と公園散歩の様子
出産は結局深夜。
25時間かかったお産でした。
お風呂に入ったり、
妹に腰をさすってもらったり、
夫は文句のはけ口になってくれたり…
途中、海外に居る弟から
叱咤激励の電話があったり(笑)
家族の存在と、
夫と妹が傍にいてくれる安心感は
大きかったです。
長いお産でしたから、
途中、院長先生がわたしの足元で寝てて!
それを見てわたし、びっくりしたことを覚えています。
息子はなかなか降りて来ず、
立位やスクワットの体勢を取ったり、
妹と夫が支えに入って
足を浮かせたり。(お神輿ポーズ)
和室の鴨居に捕まって、
宙に浮いてみたり。
その時に「家が壊れる」って院長先生が
つぶやいていたのを今でも覚えています(笑)
時間がかかったのは、
息子の頭がすごく大きかったから。
頭囲37センチ!!
「今まで取り上げた子の中で、
一番でかいですよ」、と
付き添ってくれていた助産師さんが言うほど!!
これ、
今は助産師になってるから
わかるんですけど、、
この37センチの頭囲を産んで
会陰が裂けなかったのは、
院長先生のスキルの賜物。
かすり傷程度の会陰裂傷でした。
本当に上手に出してくれました。
産後の気持ち
生まれた瞬間の幸せな時間は忘れられませんね。
爽快感でいっぱい!
もう限界、無理!!
その一番つらかった時に
産まれてきてくれるんですよね。
人生で一番幸せだったと感じる、
満たされたお産でした。
当時の自分にかける言葉
信頼できる助産師や家族に囲まれて
みんなでお産に挑めた助産院に出会えたこと、
そこでの出産を判断した私は正しい!
よくやりました、と褒めたいです。
お産のリアル第2子 ミャンマーでの病院出産
これが病院出産か、と。
オペ室みたいな分娩室が
寒くて、身体は緊張して、
怖かった記憶が
残っています。
人が出たり入ったり、、
医療機器に囲まれていたし、
ミャンマーでは設備が整った
安心できる病院ではあったんですが。
とはいえ、ミャンマーでのお産は
あまりに日本と違いまして。
それはそれで面白かったけど!
診察は
日本のような待ち時間はなかったし、
むしろハッピーと思うことも。
夫の立会いを希望すると、
そんなのありえないと言われましたが、
駄々をこねて入れてもらったことも、
いい想い出です(笑)
産後は夫を取り上げた産婆さんが来て
全身オイルベビーマッサージ!
親子代々お世話になるとは、
これもご縁でした。
どのみちお産て、
リスクがないってことはないですからね。
何があっても自分の人生!って
受け止めて
お産に向かっていました。
お産のリアル第3子 あっという間のお産
破水してあっという間に出産。
早すぎて気持ちがついていかなかったくらい!
3人目は早かったです。
上の子達も連れて行って
助産院でのお産。
その頃にはわたしはもう助産師になっていたので、
色んなお産に立ち会っていました。
その中で静かなお産をする方が、
たまにいらっしゃるんです。
そんな静かなお産に
憧れて、
今回はそんなふうに産むぞ、
と思っていましたが、、
まぁそうはならず(笑)
声も出て、にぎやかなお産でした。
四つん這いでの出産。
自分で自分の子を取り上げ、
そのままお腹の上で抱っこしたいと
思っていましたが、
その通りにできました。
すごく幸せな経験でした。
子どもたちにはそれぞれ
「わたしの元に来てくれてありがとう。」
って伝えたいですね。
今の幸せは、
彼ら達が来てくれたおかげですからね。
ミャンマー風くるくる巻き
生まれる力・産む力を体験すること
女性自身がこのパワーを
体験するのは大事だなぁって思うんですよね。
助産師の仕事をしていると
産む力があるのに
使わないのはもったいないなー、
って思うことがあります。
編集者より一言
理恵子さんの話は、ともかく楽しくて、笑い満載!!
文字数の関係でここに掲載するのを見送った笑い話も沢山ありました。
笑って楽しくおはなししてくださったけれど、
初期流産の体験も含め
大変なこともあったと思うのです。
大なり小なり、どんなお産にも
色々なことがありますよね。
それに対する気持ちも妊娠~お産の経験を印象付けます。
きっと、それぞれのことを
楽しんだり、その都度ご自身で納得し、
向き合ってらっしゃるからこそ、
楽しくて幸せなお産になったんじゃないかなぁって感じます。
時間をかけながらの人生で忘れられない大切なお産。
理恵子さん、素敵なシェアをありがとうございました!
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