出産体験談№.58 想定外だらけだけどすべて結果オーライ!のお産

病院出産
この記事の見どころ

・双子の経腟出産を決めた助産師お母さんの臨場感あふれる出産
・500人に1人の確率で生まれる口唇口蓋裂と、10万に1人の幸帽児
・こうすると決めて動くお母さんの強さ

27歳第1子(長女/子ども4人) 自宅出産
32歳第2子・第3子(双子・長男・次女/子ども4人) 病院出産
40歳第4子 (次男/子ども4人)自宅出産 
神奈川県 宮内千夏さん(『みやうち母乳相談助産院』主宰)

※千夏さんのお仕事の詳細は記事末尾に記入

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

千夏さん
千夏さん

一番最初に思ったことは 自宅出産できない、、でした。


1人目は自宅出産で、すごくいいお産だったので、
2人目も絶対自宅出産したい、と
思っていたので。

お腹の中で2人、
ちゃんと育つのかな?という不安も
ありました。

1人目の時は切迫入院もしていたので
どちらかと言うと不安が大きかったかな。


譲れなかった気持ちとしては、
経膣分娩で産みたい、でした。

4人目も産みたい。
4人目の時は自宅出産をもう一度したい。


そのためには絶対にこの双子も
経膣分娩で産みたい、と考えていました。
経膣分娩をするためには
・二卵性であること。
・先に出てくる子が頭を下にしていること。


これらが揃っていないと
経腟分娩にはトライできないのですが
幸い、全てクリアしていました。
そうして徐々に、
やってみたかった同時授乳ができる!と
胸を躍らせるようになりました。

お産のイメージ

千夏さん
千夏さん

とにかく無事に出ることしか
考えてませんでした!!

助産師ではあるものの、
双子のお産の介助はしたことがなかったんですね。


1人目と2人目の間のお産は
時間が空くという知識はあったので、
なんとかなるかな、という気持ちでした。

お産のリアル 双子の経腟出産 

千夏さん
千夏さん

500人に1人と10万人に1人の出産。

入院したりはなかったけど
1人目の時のお産は腹囲が86 cm。
双子の時は1 m を越えたんですね。
もう妊娠後期の方は立ってても恥骨が痛い。
寝てても恥骨が痛い。

ともかく痛い。

フラットにはなれなくて、
寝る時も無印良品の
ビーズクッションに乗っかって
過ごしていました。

36週過ぎてお姉ちゃんの幼稚園イベントに
参加した時のこと。
ずっと座っていたのですが、
恥骨が終わった、、と言うか、
もうとにかく痛くて痛くて痛くて!!
もうこれ以上は耐えられそうにない、
となり36週と5日目、助産院に行って
「明日産みたいので、内診して下さい」と
お願いしました 。

もう正期産の37週も近いし、とお願いしたところ、、
その日の夜から痛くなってきて、
日付変わるくらいに病院へ行きました!

朝になって陣痛が治まり、健診して帰ろうと
尿検査をしようとすると
破水!
動けなくなって車椅子で分娩室に入って、
分娩台に行きました。

助産院でお産がなかなか進まない時に、
産婦さんに立ってもらって、
それぞれの足を助産師が持って、
産婦さんは旦那さんにつかまって、
空中に浮かぶような体勢を
とることがあるのですが、
これは重力を使うためなんですね。

そしてわたしも・・
「立って」と言われ、
双子なのに立つんだ?!
となりながら・・立ちました。

頭が見えた時に、
やっと分娩台へ!

この時はもう
恥骨痛の痛みなんか
ぶっ飛んでて、
もうどうなってもいい!!という感覚でした。

ともかく頭が出てきた!産める!と。

何で頭が出てこなかったかと言うと、、
長男は今もトンカチ頭なんですけど、、
この頭が引っかかってたみたいだったんですよね。

でもなんとか
重力も加わって出てくることができました。

そのまま私の胸の上に来て、
カンガルーケアをしました。
その時、口唇口蓋裂 こうしんこうがいれつ(※)

があることがわかりました。
エコーじゃわからなかったんですね。
その事について動揺激しく、
というのはなかったですね。
わたし自身、口唇口蓋裂の赤ちゃんを
取り上げたこともあるし、
知識としてもそういうのがある、
とわかっていたので。
特にそんなに 衝撃を受ける、
というようなことはありませんでした。
取り上げてくれた医療スタッフが
普通に接してくれたのも、
すごく良かったと思います。

まだまだ終わりじゃない、
というのがその時頭の中で考えていたこと。

何と胸にお兄ちゃんを
カンガルーケアしたまま、産むことに!!

「このまま産むんだ?」とは思ったものの、
周りの方に「抱っこしてください」何て
いう余裕もなく。

1人出てきたら中にいる子は
体位が変わるかもしれないんですね。
逆子だったんだけれども、
ぐるっと回って出てくることがある。
逆子のまま出てくる場合は、
先生が赤ちゃんのお尻を受け止めて
そこからぐるぐる回転させながら
出す、というのが通常のパターンなんですが …。
なんと下の子は、
卵膜に包まれたまま出てきました!

(幸帽児:こうぼうじ(※2)といいます)

陣痛の波とともに
卵のようにつるん、て!

1848gだったので、
まだちっちゃかったんですよね。

なのですぐに、つるんと出てきました。

口唇口蓋裂 こうしんこうがいれつ
先天性異常の一つであり、軟口蓋あるいは硬口蓋またはその両方が閉鎖しない状態の口蓋裂と、口唇の一部に裂け目が現れる状態の口唇裂(唇裂)の総称。口唇口蓋裂の有病率は500人中1人(日本人の場合)程度。現在では治療法が確立し、ほとんどが外科手術により治療可能で治療痕も目立たなくなっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E5%94%87%E5%8F%A3%E8%93%8B%E8%A3%82

幸帽児 こうぼうじ
一般的には分娩の際に卵膜が破れ、羊水が一部流出して赤ちゃんが出てくるのですが、まれに卵膜が破れないまま、半透明な卵膜に包まれた状態で生まれてきた赤ちゃんのことを指します。日本でも海外でも縁起の良い現象とされているようです。数万から10万人に一人の割合。

http://medicalsokuho.blog.fc2.com/blog-entry-6042.html

出産後の感想

千夏さん
千夏さん

2人のカンガルーケアをしながら
考えていたことは、
どうやって母乳育児をしたらいいかな?

授乳のことをひたすら考えていました。
その当時は母乳で絶対に育てたいと
思っていたこともあって… 。

お兄ちゃんは
口唇口蓋裂があるので
搾乳機でおっぱいをあげないといけないし、
この子は小さいから
たくさんあげないといけない、
さてどんな風にしたものか、、

そんなことを考えていました。

口唇口蓋裂、家族の反応

千夏さん
千夏さん

お口を怪我しちゃったんだよ。

お産は立ち会い出産だったので、
お姉ちゃんもパパもそこにいました。
赤ちゃんが生まれて、
お姉ちゃんが「お口どうしたの」と
聞いてきました。

なのでわたしは
「怪我をして生まれてきたんだよ」と答えました。
するとお姉ちゃんは「ふーんそっか、でも可愛いね」って、
そのままを受け入れていました。

その素直な言葉に救われました。

2人とも母乳で育てたい、取るべき道は一つ

千夏さん
千夏さん

一人だけおいて退院するのはあり得ない。

わたしと長男は4日で退院できました。
長男はこの時、2306gでした。
次女は1848gで生まれたから、
2200gになれば退院できる、のですが、、
次女はまだまだ、退院できそうに、ない。

毎日2、3時間おきに
母乳を届けるのも無理だし、
とはいえわたしのおっぱいを
吸ってもらわないことには、
どうにも進まないし、
母乳生活どうなっちゃうの?と思ったわたし。

こうなると取るべき道はひとつ 。

全員の同時退院。

病院とかけあいました。
病院からは 説得されたものの、
わたしの意志が変わらないということ、
わたしが助産師ということもあったのか、
「二度とその病院での受診はしない」
という誓約書 をかかされて、
何とか退院することができました。

今にして思えば、
危ないなーって思います。

産後の守らなきゃ、という判断が、
めちゃくちゃ働いたと言うか、、

冷静なようでいて、
冷静でないと言うか(笑)

当時は、次女だけ置いとくなんて、
ありえない!!と思っていました。

退院して、齋藤助産院でも何日か過ごし、
そこから自宅へ。

帰ってからの次女は
まだ体も小さかったので、
ひたすらずっと寝ていました。

それが今では
次女の方が成長が早いぐらいに
大きく育っています。

自宅出産を選ぶ理由

千夏さん
千夏さん

出産を日常の中の一コマとして
捉えたくてやりました。

それが、1人目から自宅出産を選んだ理由です。
ご飯を食べて、
日常の流れの中で出産を迎えたかったんですね。

自分が病院で働いている時に、
システム的にどうしても
一人の妊婦にずっと付きっきりというのが難しい。

助産院では助産師さんがついてくれる。
特に自宅出産であれば、
一度来てくれたら、
そのままずっとついていてくれる。

こんなに心強いことないですよね。

1人目は齋藤助産院で産みました。
そのお産がすごく良かったんですよね。
なのでまたどうしても自宅出産がしたくて。
4人目は念願叶っての自宅出産となりました!

千夏さん
千夏さん

双子出産の後の経腟分娩、自宅出産。

このときは別の助産院。
双子を産んだ後の経膣分娩は、
やっぱりリスクが高くなります。でも、
結果、大満足のお産となりました。

4月3日が予定日で、
春休みだったから、子どもも皆いました。
長女の友達で
助産師と産科医になりたい友達もいたので
なんだかんだみんな合わせて
11人くらいいたかな(笑)
そんな中でのお産でした。

ちなみに3回ともお産はみんな日中です。
それぞれ、10時半、11時半、12時半に生まれています。
みんなが集まりやすい時間に生まれてきてくれました。

当時の自分にかける言葉

千夏さん
千夏さん

いろんな意味で、よく頑張ったよね。

生まれて分娩室から部屋に戻った時に、
親戚から口唇口蓋裂について、かけられた言葉、
それは今でもずっと忘れていません。

産後はオキシトシンがたくさん出ているので、
記憶力がめちゃくちゃ良くなってるんですよね。
なのでその時かけられた言葉は、
良い言葉にしても、嫌な言葉にしても、
一生忘れないと思っています。

とはいえこの後の1年間は
ほぼ記憶がないです(笑)
それぐらい忙しい毎日だったんでしょうね。

夫も医師なので、口唇口蓋裂に驚くことはなく
「大丈夫、協力していこう」とやってきました。

今は大学病院の受診回数も減りましたが、
歯科には矯正も含め、毎月通っています。
今は全く聞かれなくなりましたが、以前は長男が手術跡を気にするときは
赤ちゃんの頃の写真を見せながら、
「お口をけがして生まれてきたの。赤ちゃんの頃に何度も手術をしたんだよ。
手術の跡は消えないけれど、あなたは何度も手術を乗り越えた強い子なんだよ」

と伝えていました。

宮内千夏さんてこんな方

助産師。湘南鎌倉総合病院の産科、齋藤助産院での勤務、
自身の出産を経て2012年に鎌倉・腰越に
『みやうち赤ちゃんおっぱい相談室』をオープン。
年間約200人以上のお母さんのおっぱいケアをするスペシャリスト。
鎌倉の産後ケアを考える会』でも活動をしている。
2021年春、腰越から七里ガ浜に引越し屋号を改名し、
みやうち母乳相談助産院』として再スタート。

編集者より一言

千夏さんとは齋藤助産院の助産師さんとして出会いましたが
実は、わたしの夫の高校時代の同級生!
当時、助産院での初出産に
戸惑う夫が、助産院で千夏さんに再会したことで、
助産院ありかも?とおもうきっかけになった方でもあります。

双子の赤ちゃんを産んだと聞いていたので、
お産カーニバルの展覧会をきっかけに、
双子の話を聞かせてください!とお願いしました。

双子・・未知の世界ですが、
千夏さんのいろいろな度胸に、
驚いたり笑ったりしたインタビューでした。

とはいえ!千夏さんが助産師さんであるということが
大前提ではありますが!
こうと決めること、それをかなえていくことについて、
教わったように思います。

千夏さん、素敵なお話をありがとうございました!

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