出産体験談№41 命への感謝をするお産

病院出産
この記事の見どころ

・9ヶ月で心拍停止、死産の最中に心肺停止を体験。
・その体験で、生きる姿勢が変わったこと。
・親子ともにある胎内記憶(娘ちゃんは生まれた時のこと、たまえさんは空の上のこと)

31歳 初産(長男/子ども2人)9ヶ月で死産
35歳 第2子(長女/子ども2人)病院出産 

東京都在住(当事) 本橋珠江さん

お産のイメージは?

人生の大イベント。
すごく大事にしないといけないこと。
結婚したら出産する、
それが当たり前と思っていました。

珠江さん
珠江さん

ただ、第2子を妊娠する前は、
子どもをつくりたいという思いや、
子どもが欲しいという思いは手放していました。

9ヵ月で赤ちゃんの心拍停止、死産と心肺停止を体験

結婚は28歳でした。

それから流産を何回も何回も、繰り返しました。

病院で子宮卵管が詰まっているのではないか等、
あれこれ子宮を見直しました。

そんな時ひょっと赤ちゃんが出来たんです。

が、9ヶ月に、赤ちゃんの心拍停止。
そのまま出産することに。

この時は、子宮口にバルーンを入れて、
ゆっくりゆっくり子宮口を開くことに。

すでにおなかの中で赤ちゃんが死んでいる場合、
陣痛促進剤だけでは効力がないんです。
お腹に赤ちゃんが生きているから、
子宮口もひらくんですね。

一週間たって、婦長さんに
「辛いね。でも今日何とかして赤ちゃんを出そうね」
と言われ、分娩台へ。

陣痛がないままいきみ、風船の先に重しをつけて引っ張り、
看護婦さんたちが何人もお腹に乗って押されました。
そしてその数時間で、
わたしの体力がなくなってしまいました。

そして心肺停止に。

呼吸が止まったその瞬間、
画面がガラッと変わりました。

上から自分を見ている状態。

一生懸命しゃべるんだけれども、
誰にも聞こえない、
気づいてくれない。
本当に何もできない。

その瞬間、もう全身の痛み、
苦しみもなくなりました。

でも、そこで、戻りたいと強烈に思いました。
まだ、こちらの世界に興味がある。
まだ生きていたい。
まだこちらで体験したい。

親にも挨拶をしたいと思った、
その瞬間に親が見えました。

瞬時に移動できる世界!!

「たまえ~!!」と叫ぶ夫の声で目が覚め、
分娩台にのっていました。

お腹にいたはずの赤ちゃんは、
流し台に置かれていました。

しばらく状況がわからなかったけれど、
「わたし、生きてる」その事実だけ、受け入れられました。

今では、わたしの人生にこの体験は必要だったな、
そこで学ばせてもらったなと思っています。

が、当時は・・。

珠江さん
珠江さん

せっかく生き返ったものの、生きる意味がわかならくなってしまいました。

命の恩人、真弓貞夫先生にあう

当時、右脳教育で有名な七田眞先生のところで学んでいる最中でした。

七田眞(しちだ・まこと)先生
心の子育てとともに、七田式右脳教育理論を築く。1997年、社会文化功労賞。 また、国際学士院の世界知的財産登録協議会より七田式右脳教育法が最優秀理論・世界知的財産として登録され、世界平和功労騎士勲章を受章。(七田式教育公式サイトより引用)

その先生に「死にたい」と自分の気持ちを伝えると。

「そうなんだね。どうせ死ぬんだったら変なおじさんに会ってみてから死んだらいいよ」と、
真弓定夫先生を紹介してくれました。

真弓貞夫(まゆみ・さだお)先生
自然派育児をされている方でしたら、名前を聞いたことがない方はいないくらい
有名な小児科のお医者さん。既に閉院していますが、全国から来院する人が絶えませんでした。
真弓貞夫先生経歴
蘇れ 生命の力 ~小児科医 真弓貞夫~ドキュメンタリー映画詳細

真弓先生に会ってお話をすると、
「死ねばいいんじゃない」と言われました。

カッチーーーーン!!

「あなたに話すことは何もありません」と言って
わたしはその場で帰って、
でもずっとムカムカムカムカ!!

・・そして、その瞬間から自問自答が始まったんですね。

なんでわたしはカチンとしてるんだろう 。

七田先生にそのことを伝えると
「カチンとしたんだね」との返事。
「カチンとしたんです」

と、言ったわたしの中に、
あのおじさんにまた会いに行ってみよう・・、
という思いが生まれました。

次に真弓先生に会うと
「僕は君が一番したいことをしたらいいと思う」
「子どもも、一番したいことをしたんだよ」

言っていただきました。

生まれてきたくて来たけれど、
9ヶ月でなくなるのもその子の意思。

それを聞いて、涙が出ました。

そして、、

珠江さん
珠江さん

「・・もうちょっと生きてみようと思います」
ということができました。

妊娠を諦める

その後も自分の染色体を調べたり2年くらいは色々とやってもいたのですが・・。

いよいよ体外受精に進みますか、
となった段階で、治療をやめました。

子どもが欲しいという思いも、
人間の都合で授かるものではないのかもしれない。

もう諦めよう、と。

「産みたい」という気持ち自体を忘れないと、
どうしても妊娠できる周期を数えてしまう自分がいて・・。

バトミントン選手だったので、
また日本選手の世界に戻してもらいました。

夫も、好きにしたらいいと自由にやらせてくれました。

遠征だ、試合だ、なんだかんだ忙しく過ごしていました。

珠江さん
珠江さん

もう全く忘れることにしたんです。

第2子妊娠と、お産のリアル

選手に戻ってからしばらくして後。

体の体調子が疲れているなあということが多くなりました。
周りからは「もう更年期じゃないの」と、
心配されたり!

そこで病院に行き、第2子妊娠が発覚。

「大きさからいって、5ヶ月くらいでしょう」と。

ただわたし自身は、この妊娠をどう感じたか・・

ここまで来ても生まれるという確信はなく。

またわたし、チャレンジさせられているんだね・・。
また学びがあるのかな。
どうなるとしても、大事に過ごさないといけない時間だよね
、と、
そんなふうに感じていました。

妊娠期間中は、
よくお腹の子に話しかけていました。

そうこうしているうちになるようになるんだな・・、
と思えるように。

予定日を過ぎ、健診でお腹の状態を見てもらったその帰り。
破水しました。

その瞬間に、「大丈夫」と聞こえたのを覚えています。

破水してすぐ病院に確認すると
「タクシーで来て」とのこと。
その時には焦りもなく生まれてくるのを待とう、
という気持ちになっていました。

その日の0時を超えて誕生。
数分の陣痛だけで何の痛みもなくスルーっと生まれてきました。

実は両親がちょうど
我が家に泊まりに来る日でした。

珠江さん
珠江さん

「この日に合わせて生まれてくるんだ、
やっぱり何もかもタイミングでうまいことできてるんだな。
人生って本当にベストタイミングでできているな」
と感じました。

©100人のお産

生まれてきた娘の顔を見て思ったこと

選んでくれてありがとう。

死産していた子に似ていました。

夫は廊下で待っていましたが、産声を聞いて入ってきて、
真っ先にわたしに言ってくれた言葉が「ありがとう」でした。

珠江さん
珠江さん

この子に会うまでに長い長い時間がかかったけれど、
生きるってこんなにすごいことなんだ、
簡単に死んじゃいたいなんて言っちゃいけないって思いました。

©100人のお産

娘が話す胎内記憶、生まれてきた日のこと

珠江さん
珠江さん

一歳半の時、
娘が胎内記憶の話をしました。

娘は破水した時を覚えていて
「もうちょっと慌てて電話をして欲しかったのに」
と言っていました。

もっと驚かせようと思っていたみたい!

「おじいちゃんがちょうど、
こちらのマンションに着くときがわかって、
その頃に出てきたんだよ」というので、
確認すると、確かにその頃、我が家のマンションに到着していました。

娘は産道を通って来るところも覚えていました。

「お星様をめがけて飛んできて、それで出てきたんだよ」
と言っていました。

©100人のお産

珠江さん自身の体内記憶の話

珠江さん
珠江さん

わたし自身にも胎内記憶があります。

空の上にたくさんのこどもと、おじいさんがいました。

「本当に何をしたいか言いなさい」とおじいさんに言われて、
何度も何度も嘆願して、
やっと生まれることができるようにな
りました。

嘆願していた内容は忘れてしまいましたけど。

やっと外に出ることができた!!という、その喜びは覚えています。

わたし自身、心臓弁膜症を患っていたり、
生死をさまようことが本当に多くて・・

お陰で死ぬこと以外かすり傷、
と思うようになりました

心肺停止と死産を経験して

珠江さん
珠江さん

この体験以降、それまではとても視野の狭い人生だった、ときづき
人の役に立つ人生へと、ガラッと変わりました。

生き抜くためにはどうしたらいいか・・。
スポーツを通して、
「もうちょっと頑張って生きていこう」
と発信するような活動をしています。

「もうだめ、死にたい」という方には、
「絶対必ず死ねるから。いつか必ず、死ねるから。
生きているうちにしかできないことをしよう」
と伝えています。

当時のわたしにかける言葉

珠江さん
珠江さん

一言で言うとありがとうしかない。
子どもに対しての、ありがとうしか、ないです。

経験をさかのぼるセラピーを体験する

池川明先生のもとで、
クォンタムバースというものを学びました。
そこでは自分があの世に戻っていくということを体験します。

池川明(いけがわ・あきら)先生

ご存じ胎内記憶の第一人者の先生。神奈川県横浜市に池川クリニックを開設。「出生前・周産期心理学協会」の日本におけるアドバイザー。(胎内記憶の池川明公式WEBサイト池川明ドットコムより)

それでわかったこと。

死んだ子はすごい未熟な魂だから生きられない。

産まれないことはわかっているんだけれど、
チャレンジをし
たい子、
出られない、という体験をしたい子、
それを選んでくる子がいるということ。

そしてうちの娘が最後に生まれてくること。

こういうことが全て、
順番もちゃんとあって、
決まっていた、
ということがわかりました。

珠江さん
珠江さん

今では、空の世界に戻っていった人たちは
生きている私たちの力になるように
なってるんだなぁって、感じています。

不妊治療に悩んでいる方へ

不妊治療をして、
やっと授かった子がいるのに、
マタニティブルーで産後うつになって
親子共になくなってしまった方もいました。

必ずしも、子どもがいるから幸せとは限らない。

流産も不妊も辛いけれど、
その人にとって一番ベストなことが、
常に起きている。

だから、自分から、自分を否定することはないよ。

流産を何回か繰り返して、
私自身もなかなかそうは思えない時もありました。

子どもを産めない人なの?と周りに言われて傷ついたこともあります。
かといって、不妊治療している同士で
励まし合うのも、後々のトラブルになることもあります。

一番良いのは、
「今のあなたの状態は、あなたにとってのベスト」
なんだってことを知る。

すべて、起きることは、
あなたにとって良きこと。

そうやっていったん、
全てを飲み込んでみる。

すると動き出す。

珠江さん
珠江さん

起きている全てがいいことなんです。

©100人のお産
本橋珠江さんはこんな方

生きていることが当り前という前提で生きていると、
目に見えることに捕らわれ、
目に見えることが世界のすべてと思い、
本当に大切なものを見失う。
生死を彷徨ったわたしだからこそ伝えられる
「生死」とか「魂」」の話。
目に見えぬこと、カラダの事、
ココロの事、カラダとココロの繋がりの事、
月とカラダとココロの関係を、
Tamaeの言葉で伝えて、
自分の人生を自分らしく生きたい人の背中を押したい!
決心する、チャレンジするための
プロジェクト「イノチの樹」 主催。

編集者より一言

珠江さんの話は、全ての経験がすごすぎて・・
一言、ただただ、読んでいただければ、と思います。
体験から紡がれる言葉の重み。
この活動を通して、
今命があることへの感謝を感じるようになっていましたが、
珠江さんの話を聞くことでより、その想いが鮮明になりました。

生きているだけでもう、まるもうけ、あとはこの人生を楽しむだけですね。
珠江さん、貴重な体験とお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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