・元気な子どもを産むために付き合いだしたころから体質改善
・1年間の玄米再食生活(自分のアレルギーも克服)
・なんといっても自然でナチュラルなお産と育児
・胎盤のお味は・・
29歳第1子(長女/子ども2人)
32歳第2子 (長男/子ども2人)
助産院出産 神奈川県 倉田雪絵さん
赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?
「ようこそ~!」
元気な子どもを産みたくって、
夫と付き合いだした頃から
体質改善を意識した。
付き合う前に「わたしは元気な子どもを産むということを大事にしたい。考え方があわないなら付き合えない」と伝えた上で、お付き合いがスタートしました。
結婚してからは1年間、
お互いの体を整えよう、と、
玄米菜食で過ごしました。(元気な精子が欲しいものね!)
夫はいよいよ子作りをしよう、となった時は、禁酒してコーヒーも飲まずに過ごしました。
やりたいように2人でどこまでもストイックな生活をしました。
自分もアレルギーのある体質だったのが、
この期間に体も健康になりました!
「これだったら元気な子しか生まれないだろう」と思った頃の妊娠で、とても嬉しかった。
お産のイメージ
したいお産のイメージどおりだったのが、助産院!
薬は使いたくない!会陰切開もしたくない!
夫にも一緒に命の誕生を体験して欲しかったので、当然立ち合いで。
助産院はすべてイメージどおり、パーフェクト!と、決めました。
生まれてすぐ、布おむつだし、母乳育児もしてくれるし。
自然でナチュラルなお産と育児を、
夫と二人でやりたかった。
親は遠方にいるので頼れないというのもある。
親から手伝ってもらうと自分のやりたいようにはできないとも、思ってた。
どんな育児がしたいか、
どんなお産がしたいか、
付き合う頃からもう決まっていて。
よく話し合ってもいたので、「布おむつで育てたい」と伝えたところ、夫は「いいねー」と。2人でオムツを縫ったりしました。
まさに共同作業をするパートナーという感じ。
そういう夫だったから一緒にやれると思って、地元から遠く離れた場所までついてくることができました。(ご実家は九州)
夫と一緒に一つの事を作り上げていく
大事な過程として妊娠出産がありました。
夫は子どもに対して向き合うのは当然、という考え方で、
「ベビーカーを持ちたくない、ずっと抱っこしていたい」という言葉にも賛成して、交代でたくさん抱っこしました。(抱っこ紐、沢山買うことになりましたけど(笑))
お産のリアル第1子
夫の首に捕まってお産をしました。
仰向けは合わないなと感じて、何かに捕まりたい!と、夫の首に捕まったのですが、
夫がいうには
「首が折れるかと思った」と。(笑)
本当に一緒に出産をした感じでした。
お姉ちゃんの時は意外と早くて。子宮口が広がるのに時間がかかりましたが、頭が見え隠れしてからは30分位。
頭が小ぶりだったから、するっと産まれました。
陣痛はきても子宮口がまだあいていなくて、陣痛を逃すのが大変でした。
お産のリアル第2子
なんじゃこりゃあ!!っていうぐらい痛かった。
2人目の時は大きい子で!!会陰がとっても痛かった。
子宮口全開なのになかなか降りてこず、破水もせず、最終的には助産師さんに破水してもらって。
「なんじゃこりゃぁっ」ていうぐらい痛かった!
頭の大きさもお姉ちゃんと全然違って大きかったから!もうそれでお産はお腹いっぱい。
お姉ちゃんはこのお産の間ずっと見ていました。ご安産のうちわで私に風を送ってくれたり、陣痛の横でみかんを食べたりしていました。
このお産のシーンは全て夫に写真に収めてもらったので、
今でも子ども達とその写真を見ながら振り返っています。
写真をとったのは性教育にもとても良かった。
おかげで我が家の子ども達の性教育はバッチリ!
そのままズバリお産のところを写真に撮っているのですが、これを撮ってとお願いしたのは、わたしの好奇心だと思う。
「当然生まれるところをみたいよね?」と。
右:あーちゃん(弟の胎児ネーム)出てきたぁ!
左:へその緒は夫に切ってもらいました。
出産後の感想
胎盤食べました。味には自信があった!!
夫は泣いていました。生まれた後はずっと赤ちゃんの事を見ていました。
助産院で一緒に並んで寝れたことも、
いい思い出。
本当に嬉しそうだった。
お姉ちゃんのときのわたし自身の気持ちは「やっと会えた!」でいっぱいでした。
弟のときの気持ちは 「でかい」「お姉ちゃんとそっくり」。
エコーの写真も撮っておいてあって。
夫と2人、エコーの写真をもらうたびに手紙を書いていました。
それをまとめたアルバムもあります。多くを語らない夫だけど、このアルバムには産まれたら○○しよう、とか○○に行きたいんだ、と書いてあって、
とても楽しみにしているんだな、と感じることができてよかったです。
後、胎盤を食べました。
これだけ体を整えたので、
味には自信がありました♫
甘くて美味しかった!
まるで馬刺しのような味わい。
2人目のときは、夫とわたしと娘も一緒に食べました。見た目はレバー。こちらの時も美味しかった♫
家族で川の字。
当時のわたしにかける言葉
よく頑張ったね。
距離的に実家に頼れなかったので、、
2人でよく乗り越えました。
2人目の時は母が一週間くらい仕事を休んで応援に来てくれましたが、、3日くらいしかいなくて。帰ってしまいました。
「おっぱいをやるんだから、食べたいものはこれ」、
「こういう風にしてほしい」という方針が合わなくて。
夫はそれを全部やってくれる人なんだけど、母とはぶつかってしまいました。素直に甘えられなかった、というのもあります。
家を出たのは自立したいという気持ちがあったのと、出来る範囲で自分たちでやっていきたいという気持ちが強かったこと。
実際、実家の近くにいなかったので、
友達だったりご近所さんに
たくさんサポートしてもらうことができました。
親元離れてやっていくことは、こちらで暮らしていくために必要な過程だったのかな、と、今では思います。
夫は子どもたちとのこと、
お家の事、
全て任すことができます。
産後は悪露も布おむつも洗ってくれました。
1人目のときは、朝昼ご飯用意してくれて、夜ご飯は夫が会社から帰ってきてから作ってくれました。
今思うのは 健康第一。
夫が倒れたら困る!、わたしが倒れても困るのでそこが一番大事と思って、食事には気をつかっています。
そういえば、授乳しているとき、切れた乳首の痛みが想像を絶しました・・
完全母乳がしたかったので常に乳首にユキノシタを貼って、調子を整えようと頑張っていました。
(ユキノシタをお湯につけると葉っぱから薄皮が剥がれます。薄皮をはがした葉を乳首に貼ると、つまり解消や炎症を抑えて母乳の出がよくなります。/編集者もよくお世話になりました)
女の人が選択できる社会にしたいですね。
社会みんなで子どもを育てる環境がもっと当たり前になったらいいな。
環境に恵まれて、孤独な子育てというのはなかったのですが地方の友達は、まだまだ孤独な環境にあると聞きます。
後、働く女性が安心して社会復帰できること。
働かないとお金がないという心配からではなくて、働きたいから働く、今は子育てに専念したいから専念する、望めば社会復帰できるなど、選べる社会だったらいい。
女だから味わえる、子育てに専念することで得られる喜び豊かさも大事に。
女の人が選択できる環境があったらいいな。
編集者より一言
雪絵さんはママ友で以前から
ストイックにこだわっていることを知っていたので、
これは聞いてみたいと思っていました。
まさか!付き合う頃から始まっていたとは!!
胎盤がおいしかった、
ベビーカーをもたない、
子作りのための玄米菜食生活など、
気になる話題が満載なんだけど、
一番の見どころは
夫婦で作り上げていく過程や協力体制だなあ、って
思います。
コミュニケーションを普段から
蜜にとってらっしゃることが想像できます!
雪絵さん、貴重な話を聞かせていただき、ありがとうございました。
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