出産体験談№.35 お空に還ったお兄ちゃんと三者三様のお産

病院出産

お姉ちゃんが見守る中、生まれてきた次女

この記事の見どころ

・一般的な出産・痛くない出産・超スピ―ド出産 三人とも全然違うお産
・生まれてきたお兄ちゃんには障がいがあった
・2歳の誕生日にお空に還ったお兄ちゃん
・胎内記憶を話すお姉ちゃん「全部決まっている」

30歳 初産(第1子/子ども4人)病院出産
32歳 第2子(長男/子ども4人)病院出産 ※2歳のお誕生日にお空に還りました。
34歳 第3子(次女/子ども4人)病院出産
35歳 第4子(14週/子ども4人)流産
東京都 渡邊エリカさん(楽読インストラクター・価値観ババ抜き®インストラクター)
※エリカさんのお仕事内容の詳細は記事の末尾に紹介しています

左:お目目くりくり小さくてとってもかわいい長女

右:小さいと言われてたのに生まれたら大きくて安堵したのもつかの間、大学病院に搬送された長男

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

妊娠した時のタイミングがすごすぎて!!

1人目は本当にびっくりした。

2014年12月の終わりに付き合いだし、
1月に妊娠、2月に婚姻届を出しました。

夫はすごい喜んでくれました。

2人目の時も、嬉しい!

子どもは3、4人くらいは
欲しいと思っていたから。

3人目の時もやっぱり嬉しかった。

ただ2人目の体調がイマイチだったので・・それが少し心配でした。

でも、なぜか子どもが増えるたびにどんどん楽になった。

ちゃんとしなきゃ、や、こうでなければならない、を手放していけたからだと思います。

お産のイメージは?

バースカフェという、
お産を語る場所に参加して、
気持ちのいいお産があるのは
知っていました。

が、特にああしたい、こうしたいはなく、
産院を選び、分娩台の上で産みました。

お産のリアル第1子 一般的な出産

1人目のお姉ちゃんの時は、
たまたま実家にいた日。

夜破水してすぐに病院へ。

翌朝になっても
全く陣痛が来ないので陣痛促進剤投与。

が、全く効かず。

夕方くらいから痛みが強くなって、
分娩台へ。

看護師さんの

「深呼吸して」というのに合わせて呼吸をすると痛みがなくなる!

最後はいきむのが難しくって
痛みもあって叫んでました!

母と夫は、「あー頑張ってるね」って
笑ってみていたみたい。

生まれたのは21時14分。

生まれた後の気持ちは・・

終わったーー!!

抱っこして、
可愛い~~
ちっちゃーーーい!!
ってなっていました。

2422グラムでした。

カンガルーケアを
2時間くらいしました。

この時間が
本当に大切なんだと思います。

第2子 痛くない出産

2人目、お兄ちゃん。

この子は生まれる前も色々あって。

大きさが小さいからと、
「成長の経過観察をしましょう」と
妊娠中に大学病院に入院しました。

「2100 グラムを過ぎないと
産院で産めないよ」と
言われていたのですが、なんとか過ぎた!

予定日の1日前の健診で、
もう産まれそう、ということで
そのまま入院。

昼過ぎから促進剤を入れたものの

なかなか産まれず。

健診に一緒に来ていた娘を
実家に預けるために
母に迎えにきてもらいました。

この時にはまだ陣痛はきてなくて。

母もまだ生まれないだろうと思って帰宅。

その後、どんどん陣痛が強くなり、、
あっという間に出産。

なので母は家に着いてすぐに
産院に戻ってきました。

この時はお布団で楽な姿勢で産みました。

深呼吸して、
いきまずに産まれました。

全く痛みのない出産!

赤ちゃんは2708gありました。

ただ、お兄ちゃんには
色々な障がいがありました。

足の指の本数が多い多指症、
手の指がくっついている合指症、
口蓋裂
(こうがいれつ:口蓋が裂けて口腔と鼻腔がつながっている)
という症状もありました。

産院では面倒を見られない、となって
大学病院で検査となり、そのまま入院。

カンガルーケアも
しないままでした。

正直、生まれた当初は
あまり可愛いと
思えなかったんです

それが大学病院に通って

触れ合ったり、
抱っこするようになると
どんどん愛おしさが増して、
可愛いなって思うように。

抱っこする、ふれあうって
本当に大事。

口蓋裂だったので、
鼻からチューブを入れて
胃の中にミルクを入れるため
毎日搾乳していました。

お兄ちゃんが退院したのは
わたしが自分一人で鼻からチューブを入れてミルクをあげられるようになってから。

その後も体調不良で
入退院を繰り返したのですが
その度に腎臓が片方ちっちゃかったり、
1歳半の時に心臓の欠陥が発覚したり
いろいろありました。

お兄ちゃんは成長発達も遅くて
首も全然座らなくて、
手術もできる状態じゃなくて。

1日6回ミルクを注入していて、
ほぼすべての時間を
お世話にさいていた状態。

自分で全部できるように
なってからは、
一番上のお姉ちゃんは預けて、
お兄ちゃんと一緒に
どこにでも行っていました。

お兄ちゃんの面倒は
わたししか見られなかったので、
常にずっと一緒にいる状態でした。

産院にいる間は
毎日泣いて過ごしていました。

だけど、この子は悲しませるために
お腹に来たわけではない、
この子が、この体、この運命を
選んできたんだ、

自分の運命は
自分が決めてきてるんだ、

そう思うことで
受け入れられるようになりました。

この考えのベースには『生きがいの創造』という本があります。

わたし自身が幼いころから
ずっと生きていくことへの不安や疑問が
あって。

それが、この本を読むことで
解消されていたので・・

ここで書かれている考え方も、
割と早く取り入れて、
受け入れられたように思います。

第3子 超スピード出産

3番目は出産予定日の5日過ぎてからでした。

経産婦は
どんどん生まれるのが早くなる
と言うけれど、

わたしの場合はどんどん遅くなる!

3番目にして3092gグラム!

3000グラム超えた!

出産の時、
お兄ちゃんはどうしよう?となって、

お産の時に隣にいても
平気かなと悩んだりしましたが、、

結局、大学病院で預かってもらうことに
なりました。

次女ちゃんの陣痛が来た時は

実家に泊まっていてたので、
母に病院に連れて行ってもらいました。

自分の感覚としては
もうこれまじで生まれるやつ!!

なるべく
うごかないようにしていました。

病院に着くと
「頭見えてますねー」と言われました。

リラックスすると
進んじゃう感覚があったので

力を入れて我慢を
していたのだけど・・

分娩台に入ると
すぐに生まれました!

リラックスすると、痛みは感じず、緩めると産まれちゃう、
そんな感じ!

生まれた後の気持ちは、、顔を見た瞬間、「この子は何でも知ってる」って感じました。

とてもはっきりした顔をしていました。

お兄ちゃんは産後、4日後に退院しました。

その時の感覚は
双子よりは楽かなー?でした。

身体的にはお姉ちゃんの時が
一番つらかった!

年齢が行くほど、
どんどん体も楽になっていた感覚。

この時は楽読で
取り入れているコアチューニング
やっていたので、

体の体幹が鍛えられていた
ということもあったんだと思う。

コアチューニングは体と心が整うので、
回復も早かったし、
メンタル的にもすごく楽だった。

当時のわたしにかける言葉

頑張ったよね。

命が生まれるのは
当たり前じゃないんだよね。

生み出すってすごいことだよね。

実は、

このインタビューを受ける少し前に、
4人目を流産しました。

命はそのことも、選んで生まれてきているって思います。

産むだけなら何回でもできる。

リラックスしていると
楽に産めるんだよ、って
みんなに知ってほしい。

2人目3人目も会陰がきれずに出てきました。

ポイントは深い呼吸だと思う!

胎内記憶について

お姉ちゃんが生まれる前の記憶を
話してくれました。

周りに白い玉がいっぱいあって
自分の色はピンク色で、弟は黄色。

そこには妹も近くにいたんだって。

生まれてくる順番は決まってたんだろうな。

1人目 まずお姉ちゃんが来て
からのお兄ちゃん。

いきなりお兄ちゃんだったら・・
やっぱり大変だったと思う。

1人目の経験があったから、
なんとかなりました。

3人目 、2人目のお兄ちゃんが
いなくなっても大丈夫なように
すぐに来てくれたのかな・・。

上手くいくように、
全部、全部できてるんだなって
思います。

お空に還ったお兄ちゃんのこと

お兄ちゃんはインフルエンザによる
肺出血で2歳の誕生日に亡くなりました。

あっという間の出来事で・・
わたしと夫は大丈夫だったけど
亡くなった後、
下の子達にインフルエンザが
うつってしまった。

お葬式はせず、自宅で会いにきたい人には
会いに来てもらいました。一週間後に火葬。

色々と・・あの時こうしておけば、

こうだったら、、と
思うこともあるけれど・・。

例えばお母さんだと
化学物質をとっていたから
障がい者になってしまったのかな、とか。

食べた物、飲み物によって
変わってしまったのかな、

という風に自分を責めてしまうと
思うんだけれども・・。

姉弟3人、それぞれ同じような生活を
していたけれど
それぞれ体に違いがあるわけで。

それは食生活は関係ないと思う。

この両親だったら
自分を育ててくれる

ここだったら自分の運命を
生きられる

そんな風に子どもが
決めて来てくれているんだと思う。

と思わないと、辛い。

全部自分のせいと思ったら、
辛くて生きていけない。

いま自分の使命を生きよう、と、
楽読のインストラクターをやっています。

お兄ちゃんの存在は、インストラクターをやる、大きなきっかけになっています。

人生を全うしてお空に還っていったお兄ちゃんを、
わたしは尊敬します。

渡邊えりかさんはこんな方
楽読インストラクター・楽読研究員・価値観ババ抜き®︎インストラクター。 ボードゲーム・カードゲームが大好きで月1回オンラインでゲーム会を無料で開催。 毎日楽しく過ごすお手伝いをします🎶
楽読神楽坂スクールHP
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ログ:えっかの生活

編集者より一言

全く痛みのないお産!
何人でもいける!というのも、
とても興味深い!
人間の身体や可能性って
まだまだいろいろありそう。
そして、お兄ちゃんのお話し。
「子どもは自分の人生を決めてきている、この両親だったら自分を育ててくれる、ここだったら自分の運命を生きられる」
というお話しに胸打たれました。
人生を全うしていったお兄ちゃんももちろん、ご家族の皆様と、
エリカさんをわたしは尊敬します。
エリカさん、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。



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