生まれてから2時間後、やっと私の胸の上にきた!
・体外受精だから感じる、命の誕生は神秘
・頑張っても仕方ないよ、って声を掛けたい理由と、
そのままでいけと思う理由
・産後うつ、イヤイヤ期からスタート!
40歳第1子(長男/子ども1人)病院出産
神奈川県 にゃんこママさん(匿名希望)
赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?
ママさん
赤ちゃんを欲しいと思ったのが38歳。
そこから不妊治療をして、
1年2、3カ月頃に体外授精が成功しました。
それまでは、タイミングをみるのと、
不妊治療薬の投与(ホルモン薬を入れて卵をたくさん出るようする)。
全身麻酔をして、採卵。
ここで7、8個採れた卵の内、2つが受精卵になり、
一つを体内に戻しました。
もう一つの受精卵は育たなかったため、
これでダメだったらまた採卵から
と思っていましたが、ここでいけた!!
受精卵をおなかに戻したので
着床日もはっきりわかります。
育っているか確認をしたときに、
2mmか3mmくらいの
小さな細胞(心臓?!)が、パクパク動いていた!
今でもよく覚えています。
人工的な命の始まりに、悩みもあった。
けれど、お医者さんに、
「育つためにはどうしたらいいのか、
医者もわからない。
受精卵ができて、
絶対うまくいくように見えるときでも、
ダメになることもある。
神の領域なんだと思う。
だから、罪悪感を持たないでほしい」
と言われ、全部が全部自然ではないけれど、
自然に任せた部分が大きいのかな、と思っている。
妊娠中は身体の変化が楽しかった!
赤ちゃんの服に水通しをした時の写真。
畳みながらちっちゃいなあって思った。
お産のイメージ
ママさん
本当は助産院で産みたかったけれど、
年齢的に難しかったので、
最初の不妊治療でお世話になった病院へ。
バースプラン(理想の出産のイメージをするもの)
を聞かれたものの、
「無事生まれてくればいいいや!」
とあまり計画を立てませんでした(笑)。
ただ、夫の立ち合いは希望した。
次はないだろうから、一緒にやろう、と。
夫も事前に本を読んだりして勉強していました。
当時、ベネッセが発刊していた
「妊娠中の通信講座」に申し込み、
毎月一冊届く、「ママ用」「パパ用」の本を二人でよく読んでいた。
(パパ用には自分のことは自分でやるなどが書いてあった!)
心構え、ばっちり!!
お産のリアル
ママさん
絶対にやりたくないと思っていた、
先生が上に乗るやつ、
やりました(笑)!
予定日の二日前に弱い陣痛が来て
病院に行ったものの、その日は不発。
予定日になった午後。
また弱い陣痛が来た!
歩け歩けと言われて歩いたものの、、
赤ちゃん降りてこない~、生まれない~。
そこから骨盤が小さいのでは?!
とレントゲンを撮ったりして
(陣痛の合間にだよ!)。
結局、陣痛促進剤を入れて夜22時くらいに生まれました。
初産としては
4,5時間くらいだったから、早いかな?
なかなか出てこなくて、力んでいいよ、と言われても
合間にうとうと眠ったり、起こされたりして。
最後は吸引分娩。
絶対にやりたくないと思っていた、
先生が上に乗るやつもやりました(笑)!
お腹を思いっきりぎゅうぎゅう押すの!
「生まれた~!」ってなったのも、つかの間、
「出血ーー!」となり、
みるみる看護婦さんが増え、
先生が増え、
管をつけられ、、ってなりました。
当人はいたって冷静。
赤ちゃんが放っておかれている~~って
思っていました。
それから、泣いてないな!とも思った。
2時間たって、ようやく落ち着いたころ。
院長先生が
「あんたは絶対助かると思っていたよ、
助けなきゃと思っていたよ~。疲れたろ。」と、
黒飴を口に入れてくれた。
その美味しかったこと・・!!
ここでやっと赤ちゃんが隣に来た!
・・吸引されて、
すこし上が伸びているし、
むくんでいるし、
目も開いていないしぶさいく~~~!!
というのが第一印象!
やっと対面できた~~ってなってから、
すぐ、赤ちゃんの肺の中に
水分が残っている状態だったので、
酸素がたくさん入った保育器の中に入ることに。
徐々にならしていくとのことでした。
立ち会しいた夫に感想を聞くと、
感動した~とかではなくて(笑)
「怖かった!」
「壮絶だった!」
「死ぬんじゃないかと本当に心配だった」
と言います。
産後の気持ち
ママさん
「やっと出た!!」
で、ちょっと悲しかった。
授乳もできず、抱っこもできなかったから。
産後は貧血がひどく、
ご飯は起き上がって食べれず、
赤ちゃんを見に行くときは車いすで、
トイレは看護師さんの付き添いで。
授乳は、看護師さんが
赤ちゃんの写真を撮ってくれていて、
写真を見ながら搾乳するように言われ・・
「いや!出来ないよ?」ってなってました。
もっと一緒に過ごしたかったな、
と思ったけれど、
帰ったら、休めないんだから、
神様が休憩をくれたんだろうと思って休むことにしました。
そんな状態で入院生活を過ごし、
いざ、退院となったとき。
授乳もほぼしたこと無い、うんちのおむつを換えたこともない!
大阪の実家から駆け付けた実母となんとか、お世話をしました。
母は、孫を
「もうみれないとおもっていたわ~~」と言って、
とても喜んでくれました。
じいじの手。大阪からきて初対面の時。
「こまいの~ちっちゃいの~~」と、
聞いたことのない高い声で
言っていた。
当時のわたしにかける言葉
ママさん
「頑張ってもしゃあないよ~」
すごい頑張ろうと思っていた。
本も沢山読んだし、
ちゃんとやんなきゃ、って。
でも、他の人の言うことを聞くタイプじゃないから・・
「ほな、それならそのままで、
いいんじゃないですか」
こういう風にやるんだ、
いいお母さんになるんだ、と、
思っていたの。
今となっては、出来ることをやっていればいいんじゃないの、
と思っている。
こんな母親でも大丈夫なの。
そのままでいいよ。
当時飼っていた猫がいい子で、
ベビーベットに絶対はいらなかった。
いつも柵の隣で寝ていた。
産後うつになりました
ママさん
ずっと手のかからない子で、すごく楽だったけど、
2歳からのいやいや期から
幼稚園に入る前までがすごくしんどくて。
産後うつになったような感じ。
心療内科に通い、
認知行動療法
(ものの考え方や受け取り方に働きかけて行動をコントロールしたりする治療法)
をおこないました。
今は、小学校に入学して、
すくすく育っている。
当時は、「目の中に入れてもいたくない」
「うちの子可愛いんです~」
というお母さんじゃない自分て、
おかしいのかな、と思っていたけど、、
お母さんらしいお母さんじゃなくても、こどもは育つ。
インタビューの後、当時のノート見返して、
最後のこの文字を見つけた。
がんばっていたんだな、って泣けてきました。
編集者より一言
産後の過ごし方に心残りがあって、
気持ちの整理をしたい、ということで、
参加してくださったにゃんこママさん。
今回は母性ってなんだろう?がメインに。
母性って愛にあふれるイメージがあるけれど、
お産が100人100様なのと同じように、
母性の在り方も人それぞれなんじゃないかな。
にゃんこママさんは命の始まりからずっと一生懸命。
本当によく頑張ってきたなあ、、
と思います。
悩むのは愛がある証拠。
子どものことを一生懸命考えているにゃんこママさん、最高です。
このお話が、
今、子どもをかわいいと思えない、
と苦しんでいる方へ、届きますように。
愛し方が世間と一緒ではないからって、
愛がないわけじゃない。
あなたなりに愛しているならそれを大事にすればいい。
(手が上がる、辛い、があるなら、
にゃんこママさんのように専門家にかかるのも大事ですが!)
にゃんこママさん、
お話を聞かせてくれてありがとうございました。
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