出産体験談№87 生き抜いた先にあった幸せ産

自宅出産
この記事の見どころ

・高校退学、18歳で大検取得、大学生になるも21歳で出産!
・学生妊娠。でも産むことしか考えなかった。
・お産は余計なことをしないことが大事。
・変化を受け入れていく過程を受けとめる居場所をつくる。

21歳第1子(長男/子ども4人)病院出産
30歳第2子(次男/子ども4人)
32歳第3子(3男/子ども4人)
35歳第4子(4男/子ども4人)

神奈川県 菊地愛美さん(助産院院長)

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

愛美さん
愛美さん

大学に入学して一年目、まさかの妊娠。

母子家庭で高校のときに
学校を退学しました。

親が好きじゃなかったので、
家を出たくてしょうがなかった。
でも、中卒の自分が生きていくためには
水商売をするしかなくて、
水商売で生きていました。

水商売をしながら、ホテルの朝食と居酒屋をかけもち。
その頃の睡眠時間は1日に3時間。

女で生きてくってこんなに大変なんだ、
その生活を 2年も続けていくと、
孤独感が募って死にたいと思う気持ちもありました。



家族に恵まれていたら、
もっとお金持ちに生まれていたら・・
自分のことを棚において、周りを恨んだり、
妬んだりしてばかりしていました。

そんなある時、ストレスのためか声が出なくなり
そのまま引きこもりになってしまいました。

それが18歳の時のこと。
この時に、今、死ぬのか、
それとも、やり直すのか・・、悩みました。
・・わたしはまだ10代。
もう1回ぐらいやり直してみてもいい、と思えたんですよね。

そこから一念発起して
大検を取りました。
その当時の浪人仲間がいい人達ばかりで
そこから欲が出てきたんですよね。

命を一度捨てようと思ったからこそ、
命を生み出す仕事をしたい。
そう思って、
助産師の資格を取ることにしました。


とはいえ、慶応大学に受かって入学したものの、
マジでお金がない。
大学に通うための入学金もない。

結局また水商売をしながら
大学に通う毎日でした。

ところが大学仲間は
みんなお金を持ってて・・
曲がったところのない人たちばかりで、
自分の生い立ちや生き方を
掘られるような感覚に・・

どこに行ってもこの生活から抜けられないのかな・・、
そんなとき、当時付き合っていた今の夫の子を
まさかの妊娠。
当時わたしは大学一年。

子どもを産み育てるながら大学を卒業するには5年分の時間が必要で、
既に800万借りているし、
どうする、どうするって・・
家族に恵まれない生活だったから、
おろすということは、
わたしの選択肢の中には一切ありませんでした。


新しく家族を作る、
やり直せるんだって。


一切戸惑いがなかったと言うと
それはやはり、
色々考えたけれど・・
でも産みたいなって思ったんですよね。

学校を辞めようか
悩んでいたところ、
夫が「なんとかなるっしょ」と言って
わたしのわがままを全部聞いてくれました。

20代前半はそんな理由で
子育てをしながら大学に通い
助産学校にも通いました。
夫はわたしのわがままを全部聞いてくれていましたね。

「好きにしたらいい」と言ってくれていました。

ところが、また問題があって・・

赤ちゃんが生まれて学校に通いたくても、
今度は子どもを預ける先がない。
保育園は・・・何と入れないんです。


なぜなら、学生は無収入だから。
「保育園は働いている人のための場所なので、
あなたは入れません」、と言われてしまって。

それがとても悲しくて、
バイトしながら月7万円する無認可の保育園に入れていました。

お金あるなしにかかわらず
お母さん達ってお母さんになってくんですよね。

託児ホテル、ベビーシッター・・。
全部お金がなかったら叶えられない。

いろんな状況、
いろんな背景のお母さんがいるはず。

お金の有無に関わらず良い子育てをするお手伝いが必要だっていうのが
わたしの根本にあります。

お産のリアル第1子

愛美さん
愛美さん

1人目、何の知識もなくお産に。


入学して1年目の時のことでした。
正直、死ぬと思いました。

3,800gで、全然降りてこない!
実家の里帰り出産を選んでいたのですが
「降りてこないと産まれないから」と、
20時ぐらいに母は返され、
1人陣痛室に残されて、
トイレの中で1人でずっとこらえていました。

誰も来ない何時間かを過ごした後に、
ようやく助産師さんが気が付いて
子宮口確認すると9センチ。

ほぼ全開!
そこから分娩台へいくも、4時間。
なかなか産まれず、親も夫もいず。
痛みで声を出すと、
「皆寝てるんだから静かにしなさい!」
と怒られながら

押したり引いたり
最後は助産師さんが馬乗りになって
生まれてきました。

愛美さん
愛美さん

その時の気持ちは
もう二度とこんなの無理。
もう絶対産まない。

お産のリアル第2子

愛美さん
愛美さん

ところが2人目。
これだったら3人目まだ産める!って思ったんです。

何が違ったのか?
産むまでの心の準備が違ったんですよね。
1人目は怖い、
恐怖心で進んだお産でした。

2人目以降は人のお世話も見てるし
自分でこういうお産がしたいという理想がある程度できていた。

痛いのはエネルギー、痛いのはエネルギーって
言い聞かせていました。

自分だけじゃなくって赤ちゃんも頑張ってるんですよね。

1人目の時は自分のことしか考えてなかったように思います。
2人目以降は子どもを感じること、
この痛みで赤ちゃんが生まれようとしている、
そう感じながら
出産していました。


経産婦ということもあって
慣れもあったと思いますけれども。

2人目以降は励ましてくれる人がいないと嫌、
と思ってクリニックを選びました。

お産のリアル第3子、第4子

愛美さん
愛美さん

3人目はだいぶ慣れてきていました。
そして4人目がやってきてくれました。


4人目は自宅出産、
夫や実母、
上の子達に見守られながらのお産。

助産師さんもいましたが、
黒子のような存在で、家族が主体でした。

年子の上のお兄ちゃん達は、
自然と2人手を握り、
ただただ生まれる瞬間を見守っていました。
その姿が忘れられません。


1番最初はもう無理って思ったところからの15年目のお産。

その間の経験値っていうのがあるんですよね。

余計なことをすればするほど、
いいお産から遠のくというのが
今感じていることです。


余計なことをしないって本当に大事。

フリースタイルで動くと、
会陰が切れにくかったりすることも納得します。
事前に産むときはこの体勢が良いと思っていても、
結局その時の体の動き、
体の感じで体勢って決まってくるんですよね。

昔のお産・今のお産

まなみさん
まなみさん

数年前とは育児環境そのものが変わっていってる。

今はいろいろなアプリがあって、
妊娠するまでのアプリ
出産の経過産後のアプリ
そういったもので
全部管理している方も増えてきています。

昔のお母さん方にお話すると
「そんなに休まなくても
頑張れたものよ」、というお返事が返ってくるんですけど。

数年前とは育児環境そのものが変わっていってるんですよね。
お産と育児、そのベースになっているものが
全く変わっているように思います。


特にわたしは1人目が本当に孤独でした。
当時付き合っていた人たちが
どんどん自分から離れていってしまう感覚。
体型の変化、お金を使う対象の変化、
時間の使い方の変化。


これらを受け入れていく時間が、
どうしたって必要なんです。


この過程を落とし込むまでがすごく孤独だったなって。

だけど、
その過程を一緒に共有できる人がいれば、
同じ時間を過ごしている人がいるって知れたら・・
少し楽になるんじゃないかな。

1人目の時は寝る時間が変わっていくこと、
授乳をする時間も本当に大変で
辛い思いもあったけれど、、
4人目の今となっては、
愛おしい時間と感じています。

それって、この過程を
ゆっくりじっくり落とし込んでこれたからのこと。


その時間を共有して、
分かち合ったりする仲間が必要だし
そのことを作る場所を作りたい。


そう思って仕事をしています。

子どもが生まれるって奇跡。
血を分けた子どもが産まれるって、
奇跡。

本当に感慨深いことだなって思っています。



両親について思うこと

まなみさん
まなみさん

出産をきっかけに親への感情が変わりました。

だけどどこかで
似ていると思うことがある。
誰にだってドロドロとした部分、
見せたくない部分があると思うんです。

その部分が出てこないように
鍵をかけている自分も意識しています。
それが出てこないようにするには
どうしたらいいのか?
自分が嫌な部分って
抑え込むと溢れちゃう。


だからわたしは
自分が好きなことをやることにしました。

人に甘えて
食べたいもの
買いたいもの
子どもが好きな事だけじゃなくって、
自分自身を甘やかすこと・・

そういう環境を大事にしようって思っています。

今では親に対して
感謝の気持ちがあります。
分かり合えないところはたくさんあるけれど、
子どもを産んでから、
「愛情を受けたことがないから、愛情のかけ方も分からなかった」
という父のつぶやきを聞いて、
「そっか」って思いました。

まなみさん
まなみさん

人生どうなるか分からない。

いつ死んでもいいなって思いながら
生きています。
明日死ぬかもしれないしね!

当時の自分にかける言葉

まなみさん
まなみさん

あの時死なないで、よかったね。

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編集者より一言

実は愛美さんとは、ご近所なのです!
この活動を始めてから、同じ町の中で助産院を開かれる方がいらっしゃる!と聞いてから、ずっとお会いしたかった方でした。
とにかく熱意がすごい。
全国初となる赤ちゃんへの無料離乳食を提供する
赤ちゃん食堂や、お母さんたちの居場所になるようにと、
様々に活躍をされています。

今回背景を伺って、もろもろとても納得したのでした。

また、助産師さんらしい冷静な視点も聞かせていただきました。
愛美さんの人生のきし方行く末これからも応援しています!
貴重なお話しのシェアをありがとうございました!

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