父と子の写真。彼も精一杯子どもを愛していたんだとわかった、一枚。
今回、100人のお産WEB写真展に出す写真を探していくなかで、
そのことに気が付きました。
・妊娠がわかったときはどうしたらいいかわからず、思わず泣いたけれど、
十月十日を通してすこしづつ、母親になっていった、その過程にご注目ください。
・お産は〇を捨てたら進んだ。
25歳第1子(長男/子ども2人)病院出産
千葉県 古川いずみさん(家族コンサルタント・マインドームインストラクター)
※インタビュー末尾、いずみさんのお仕事の詳細を紹介しています。
赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?
正直パニックでした・・。
22年前、結婚して半年たったころ。
赤ちゃんはまだだよね、
と話していた矢先、
体調の変化を感じて妊娠検査薬を試したら
赤い線が引かれていた・・!!
妊娠の行程がわかならい、
情報が全くない、
周りに赤ちゃんもいない!
全然イメージがないことに対して
どうする!?と。
翌日、夫と病院に行き、
「おめでたです」と言われ、
待合室で思わず泣いてしまいました。
今にして思えば、
未熟で、
精神的に子どもだったのだと思う。
夫は手放しで喜んでいました。
気持ちの整理は、少しずつ、少しずつ、、
十月十日は
お母さんが
お母さんになる準備期間だったと思う。
一日ごとに喜びが増していきました。
お産のイメージ
立ち合い出産をしてもらいたい、
命の誕生の瞬間を共に喜び合いたい、
一緒に大変さも喜びも共有したい。
と思っていました。
夫は「俺はいいや・・」というスタンスだったけど、
流れで結局同じ部屋に入ることに!
やったね♫
当時は、立ち合い出産のはしり、
という時代でした。
お産のリアル
立ち合い出産のイメージは、
夫が手を握りながらがんばれーと励ますような・・
ドラマで見るようなものを想像していましたが、
わたしのほうは、
そんなことにかまっていられない、
おなかが痛い、
早くこの苦しみから解放させてくれ~~~という感じ(笑)。
夫は助産師さんに
「出産のシーンを見て倒れる人もいるので、
部屋の隅で見ていてください」と言われて、
わたしの後ろから見守っている感じでした。
でも、口呼吸して口の中がカラカラになっていたので、
口元に飲み物を持ってきてくれたのを覚えています。
お産は、布団を干しているときに少し破水して、
病院に行き、そのまま入院。
陣痛促進剤を飲んで、
夜の八時くらいから陣痛が強くなって、22時分娩室へ。
日をまたいだ10分後に生まれました。
一番覚えていることが、
「いきんでいいよ」、と言われ、
いきんだら、
看護師さんに
「顔だけでいきんでもしょうがないのよ!!」と、
言われたこと。
いきみ方はよくわからないけれど、、
これは本気でやらなきゃ、と思った瞬間。
当時は、真面目や、
一生懸命がどこか恥ずかしい時代だったけど、
なりふり構わなくなった。
我を捨てられた瞬間だったと思う。
産後の気持ち
ほんとう~~~に、
やれやれ・・!!しか、なかった!!
赤ちゃんは、赤黒く、
膜につつまれていて全然かわいくなかった!
あれ・・歓びに包まれると思っていたのに・・!
わたしおかしいのかな??と思ったほど。
思い返してみると・・
ステレオタイプな
『産んだ瞬間に歓びに包まれ涙が溢れる‥』
という思い込みがあったのかも。
泣かないわたしは、
愛情がないのかな?と、
思い込んでしまうケース、
結構ある気がする。
可愛いなあって感じだしたのは、
表情が出てくるようになってから。
笑顔が見られたときや、
目が合った時。
それまでは、もー必死!!
おしゃぶりの指が口になかなか入らなくて、
やっと入った瞬間(笑)や、
小さい手に関節があったり、
爪があったり、
その一つ一つに感動して
母親の自覚が出来ていったように思います。
産んだ後の、やれやれ・・の瞬間。寝巻は義母が用意してくれたもの。
当時の自分にかける言葉
よく頑張ったねえ・・!
結婚を反対されて家を出ていたから、
妊娠をした時も、母親と喧嘩をしたままで、相談する相手がいなくて・・。
そんな中、よく頑張ったね、って言いたい。
現在はすこしずつですが、息子と母でコミュニケーションをとっているみたい。
産後はすごく大事!というけれど、
義母が九州から千葉まで来てくれて、
産後一カ月ほどお世話をしてくれました。
ものすごく安心したのをよく覚えていて、
本当に感謝しています。
義母が帰る一週間前には義父もきて、
孫の誕生を喜んでくれました。
初孫だったのでね。
二人がかりでお風呂に入れました。愛されているんだよ、が息子に伝わるといいな。
古川いずみさんはこんな方
生きる意味価値を全く見いだせなかった思春期。結婚後、自己肯定感を得るため色々試したが、根本解決には至らなかった。その後nTech(認識技術)により心の仕組みを知ったときに、絶対的自己肯定感を持つことができ、関係性にも変化をもたらす。2人の子育てを通じて、お母さんが無限の可能性そのものになる事が子どもにとっても大事なことになると痛感。 現在は、家族の関係性に潜む根深い問題をnTechで解決する”家族コンサルタント”の他、マインドームインストラクター、
リライズニュースインタビュアーとして活動中。
Blog:htps://furufuru0415.hatenablog.com/
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Facebook:https://www.facebook.com/izumi.furukawa
編集者より一言
いずみさんのお話で、
「赤ちゃんが授かったと分かったとき、パニックになった」
と聞き、
そういうこともあるだろうなあ、と、想いましたが、
最後に、
ご自分のお母さまに結婚を反対されて家を飛び出したので、
頼れる実家もなく、
相談相手もいなかったという話を聞いたとき。
当時の心細さ・赤ちゃんを授かったことが
大きなだったからこその
パニックだったのだな、と胸を衝かれました。
そしてそこから、毎日大きくなるお腹や、
胎動を感じて、
お母さんの自覚を深めていったこと。
産まれた瞬間に歓び包まれないわたしはおかしいのかな?と
感じたなど、
ものすごく正直!!な声だな、と。
必死で赤ちゃんを育てていくなかで、
その成長に感動したり、愛おしく思ったり・・
お母さんも、そうやって成長していくのですよね。
タイトルには、
やってきてくれた赤ちゃん
いずみさんご夫婦・見守ってくれた家族、
みんなみんな、本当によくやった!
そんないずみさん自身の想いが込められています。
そしてこの話は一人の女性が
母親として成長していく物語でもあります。
古川いずみさん、本当にありがとうございました。
そして世のお母さんたち、、
日々、命を育てるってすごいこと。
本当にご苦労様です。
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