出産体験談№77 天使がくれた奇跡の出会いはジェットコースター産 

病院出産
この記事の見どころ

・次女をなくしてからのお産に感じた葛藤。
・子育て中に感じる「たまには1人になりたい」・・は〇〇〇〇。
・”ちゃんと生きる”の意味を知る。

30歳第1子(長女/子ども4人)病院出産
32歳第2子(長男/子ども4人)病院出産
34歳第3子(次女/子ども4人)病院出産
36歳第4子(三女/子ども4人)病院出産
京都府 松村千尋さん(モテリッチビジネス塾主宰)

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

千尋さん
千尋さん

4月30日に
次女がなくなりました。

平成最後の日だったのでよく覚えています。
それから2カ月くらいたった、
7月ぐらいに妊娠しているかもしれない、
と気づきました。

運動したら心にいいかなって、
ようやく動き出した矢先の出来事でした。
この時は夕方にビールを飲むのが
楽しみだったんですけど、
まずい!!ってなって気づきました。


生理が再開してすぐのこと。
一番最初に感じたことは不安でした。

1つ目は、この精神状態のままで
わたしがまた子どもを育てられるのか。
2つ目は元気に産まれてきてくれるのか。
ということでした。

お空に還った次女のこと

千尋さん
千尋さん

次女の病気がわかったのは、
臨月になってからでした。

臨月の定期健診で、
次女の腹水が見つかったんですね。
すぐに兵庫県の、
大きなこども病院へ行って、
診てもらうとことになりました。

今まで見たことないような新しい機械で
色々見てもらった結果、
肛門が身体の中に入っていて、
おなかの中におしっこが溜まっている
という症状でした。

赤ちゃんのお腹も大きくなっているので、
早く産もう、ということになりました。

生まれたその日に、
お腹に肛門を作る手術をしました。
それから無事に退院できて・・
頑張って乗り切って、
ようやく落ち着いてきた6ヶ月頃のこと。

容体が急変する

千尋さん
千尋さん

健常な子なら、そんな大したことには、
ならなかったと思うのですが。


上の子が保育園で胃腸炎になったんです。
次女に胃腸炎がうつって、
そこからいきなり
調子が悪くなってしまって、
あっという間。

当時はわたしが気付かなかったからだ、
と自分を責める毎日でした。
わたしが子育てをしたら、
・・言ってしまえば、
また殺してしまうんじゃないか。
そんな風にも感じていたように思います。

そんなことがあって、
しばらくは家にずっといて、、
ずっとパジャマで過ごしていて・・、
気づいたら一か月経っている、
という生活。
ようやく外に出られるようになって、
すぐの妊娠でした。

夫も 口には出していませんでしたが、
しんどかった時期だったと思います。
夫は「無理やろう」という反応でしたが・・

夫に話した時は、
産む以外の選択肢は、わたしの中には、
なかったんです。

ただ、強い不安、
大丈夫かなという不安がありました。
あったけど、産むしかない。
でも怖すぎる。
でも、怖いから産まない、
という選択肢はありない。

・・とりあえず病院に行こう、
となりました。


それからも、妊婦健診が毎回不安で、、
夫には毎回ついてきてもらっていました。
当時はたくさん怖い夢も見ました。

不安が落ち着いてきたのは、最近のこと

千尋さん
千尋さん

生後半年までがずっと怖くて!!
ともかくずっと気が立っている状態でした。

娘を産んでから気が付いたのですが
障がいのあることに対して
偏見がある自分に気が付きました。

障がいがあることが、
ダメだと思っていたんですよね。

生きてる時も
不安と心配がずっとありました。

三女が生まれてからも
障がいがあったらどうしよう、って。
健常者でも行きにくいこの世の中で、
できるだけ、しなくていいい苦労は
しないでほしい、というような親心もありました。

ですが三女は元気に生まれてきてくれて、
今では「子育てめんどくさいなあ」
「たまに一人になりたいな」
って思うような余裕も生まれました!!!

これって、
実はすごく幸せなことなんだなって思います。


最初はそんな風に思えなかったので、
目を離していることが
不安でたまらなかった
時期もあったんですけど。

ようやく普通に子育てが出来ている、
日常に戻った感じがしました。

お産のリアル第4子 お肉パワー!!

千尋さん
千尋さん

やっぱり産むのは、
怖かったですよね。

予定日より早く産まれました。
前駆陣痛が来た時に、
不安な思いがあったためか、
一晩病院で過ごしたのですが、
結局その後、陣痛はつかず、
一度家に帰ることに。

会うのが楽しみ、という気持ちと
何かあったらどうしようか、
ずっとないまぜになっている状態でした。
みんな、お産の前に散歩したりすると思うんですが、
怖くて怖くて・・、
でも、入院した時に、
赤ちゃんが生まれる声が聞こえてきたんですよね。

それで、
急にスクワットをしてみよう、
って思ったり、
散歩してみようと思えました。

ちょうどその日、
おじいちゃんおばあちゃんと
バーベキューしようと約束していました。

まだ生まれないし、
バーベキューしようかな、と
悩むことなくお肉をたくさん食べた後!!

急に陣痛が(笑)

お肉の臭いをたっぷりまとって、
お肉パワーで生まれることができました!!
そのせいか三女はお肉、大好きです(笑)

病院に行ったら、
覚悟はついて!
「頑張ろうね」
って赤ちゃんに言っていました。

最後は「無理無理ー!!痛いっ」
となりつつも・・、
生まれました。

そうそう!
当時3歳のお兄ちゃんが、
陣痛の間、お腹をさすってくれました。
「ママ、いたい時は泣いていいんだよ」
って言ってくれたのを、
今でも覚えています。

その時の写真がありました^^


一方、5歳の長女は・・
テレビを見ていました(笑)

まあ、あっさりしたもので…(笑)

女の子は強いですよね。

姉弟が生まれてからの気持ちの変化

千尋さん
千尋さん

2歳半違いで2人生まれて、
いい意味で、
諦めたんです(笑)
完璧なお母さん無理だー--!って。


当時はちゃんとしなきゃ病で。
誰から見ても完璧にしなきゃと思っていたんですよね。
次女ちゃんが病気だったことで、
どんなにご飯に気を使っていたとしても、
健康に気を使っていたとしても、
こういうことが、
起きる時は起きる。


こうすればこうなる、という頭の中の思いが
崩れたのでした。


次女ちゃんがなくなってしまって、
三女ちゃんが生まれて、
やっとちゃんと生きよう、
と感じることができました。

三女ちゃんを授かったことで、
わたし、生きよう、と思ったんです。

それまでは次女ちゃんに会いたくて、
死にたい気持ちも、実はありました。

でも子ども2人がいるから、
死ねない。

こういうと、
ずっとずっと悩んで、
泣いてばかりいたみたいですけど、
そうでもなくて、
幸せも、もちろんあるんです。

ただどうしてもグン、と
落ちてしまう瞬間がある。

それが初めて
三女ちゃんを抱っこした時に
普通に生きていこう、
自分らしく生きよう。

そんな風に感じることができました。

それまでは、
人から見てちゃんとしていようと
思っていましたが・・

千尋さん
千尋さん

自分がしたい、と思うことをして、
したくないことしないようにしよう。

それがちゃんと生きることだ。


そんな風に感じることができました。

それまで抱えていたものが
ガラガラと崩れた瞬間でした。

今では、怒るも OK!!
自分で選んでやっていることが OK!!
ブレても OK、 オールオッケー!!を
自分に出せるようになりました。

せっかく生きてるんだから、
そんなふうに生きなきゃね
って思っています。

当時の自分にかける言葉

千尋さん
千尋さん

未来は明るいよ。

この言葉、どの時代、どの時点の自分にも、
言いたいんだけど!

3年前に次女が亡くなって、
パジャマで何も食べずに
ぼーっとしていた毎日。

あの時、ふと、
未来の自分からのメッセージを
感じた瞬間がありました。

〇〇じゃなければ・・
〇〇でなかったら・・
もし、あの時何々できていれば・・・
自分責めをしたり
周りを責めたり。
ずっとそんな風に思っていました。

でも・・
この出来事が必要だったんだな
って思えた瞬間があったんですね。
ここまでの出来事がないと、
なりたい自分になれなかったんだと思います。


娘のことでどん底に落ちたけど、
人生レベルでいえば、
今の方が楽しくなりました。
振り幅が大きくなったんです。


自分で自分に制限をかけることが
減ったんですよね。

天使ママに伝えたいこと

千尋さん
千尋さん

周りから
「わたしやったら立ち直れへんわ」
って言葉をかけられたりする。


これ実は天使ママのあるあるじゃないかなと、
思うんですけど・・
それがあったので
Facebookやインスタを
一切やらなくなった時期もありました。

Twitter でこっそりと、
心の声を出していくことをしていたら・・
天使ママと繋がることができて。
で、結構、みんな、
『落ち込んでいけないといけないのかな、わたしたち』
って感じてるんです。

わたしは娘と、お空で
「あなたのおかげで人生楽しく生きたよ」
って言いたい。
わたしはそこを目標にしたいし、
悲しい体験をしても、
それを糧に生きて、人生を楽しんでいる、
そういう人もいるよ、
って、楽しんだらいけないって感じている
天使ママに言いたい。


落ち込みたい時は、
落ち込んでいいいんです。

そういうことがあっても、
こういう人もいるんだよってことを、
知ってほしいですね。

産後サポートを呼びかける

千尋さん
千尋さん

これも大切なこと。
周りを頼る!!

次女の時、退院したのが3ヶ月ぐらい。
周りからのサポートがあまり受けられず、
一人で頑張っていました。
今思えば、家のことも娘の看病も、
と、心がだいぶ弱っていたので、
今回はそれを避けたくて、
インスタで産後サポートを呼びかけて、
1ヶ月間、人にご飯を届けてもらって、
うちの家族は生きていました笑!
毎日色々届いて、こんな豪華な食卓は、初めてだね、って感じに。

追記:大切な夫のこと

千尋さん
千尋さん

当時の妊娠中は、
夫が、家事も子どもたちのことも
全部してくれて、
本当に心ゆったりと過ごせた妊娠期間でした。

夫婦そろって、経験から学んだことがあって、
進化wしたと思います❣️
ゆったりと過ごせる幸せと嬉しさが大きかった^^

編集者:上記、千尋さんからインタビューの後に
メッセージをもらいました。
「大切なことを伝え忘れていた!」
とのことでしたので^^
原文そのまま、掲載させていただきます。

松村千尋さんてこんな方

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モテリッチビジネス塾主宰

誰よりも自分を大切にすることで
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編集者より一言

千尋さんとは、おうえんサロンという、
互いの活動を応援し合う
facebookのグループで知り合いました。

千尋さんは自然体でありのままを受け入れている様子が
伝わってきますし、
ビジネスも大成功をおさめていらっしゃる。
そんな千尋さんが天使ママという体験を通して、
今の千尋さんになったという話。
生き方も変わって、
家族も変わる。
子どもの存在って本当にすごいですね。
本当に、尊いお話しを聞かせていただきました。

この100人のお産プロジェクトをやるからには、
命のことを扱う、それは時には喜びだけではなくて、
死ぬほどつらい悲しみも扱うこと、とも
決めていました。
ですが、体験を振り返るというのは
つらいことを思い出させるということでも
あります。

千尋さん、大切な話を聴かせていただき、
ありがとうございます。

100人のお産プロジェクトでは、
他にも天使ママの話を聴かせてもらっています。
生きることの意味、味わい、深み・・。
感じてもらえたら嬉しいです。

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