新着公開:出産体験談№98 家族みんなのお産

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一番上の5歳の息子が撮った写真。こんなふうに 彼には見えているんだなぁ、というのが 写っている。使い捨てカメラを渡していて、とにかく沢山押してるな、と思っていたけど、ちゃんと狙って撮っていたようです。

この記事の見どころ

・母も姉も助産師。まず、姉の出産の意識が変わって、S.Mさんの出産が変わって、
 みんなが変わった!
・どんなお産でもいいお産と思えたのは・・
・子宮口が開くのが感じられたのは、痛みを○○○○〇から。

28歳第1子(長男/子ども3人)病院出産
30歳第2子(長女/子ども3人)
33歳第3子(次男/子ども3人)

高知県 S.Mさん

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

S.Mさん
S.Mさん

嬉しいというよりも、

あー、やっぱり来たよね、という感じ。

もう一人来るよね、って夫とも話していたところでした。

つわりは胃腸が弱くてがお腹空くと気持ち悪くなる、
だけど食べたらお腹が痛くなる、というパターン。
これを食べるとお腹を下すな、と思いながら食べる、みたいな。
妊娠中は体調が悪かったので、上2人に我慢させてたし、寂しい思いもさせてたな。

良かったことは3人目なので
上2人がだいたいこれくらいの時はこうだよね、
というイメージがついていた
こと。

お産のリアル

S.Mさん
S.Mさん

1人目は がっつり NICU がついている、

医療制度が整っている病院で産みました。

姉が前に勤めていた場所(S.Mさんはお姉さんもお母さんも、助産師さん)で、
知っているドクターに知っている助産師さんだから安心だよね、と。

ところが、実は、十分にサポートが受けられてない感覚がありました。
母と姉は母乳育児の国際指導士の資格をもっていて、そのためか周りも遠慮したのか、
あまり周りから、母乳育児について、伝えてもらえなかった。
だけど授乳があまりうまくいかなくて、1人目は泣きながらの授乳でした。
第1子、産後に思ったのが、
あえて他人の助産師の方がサポートしやすいのかもしれない。
中途半端に知り合いだったのがやりづらさに繋がったのかも、というのもありました。

お産のリアル 2人目

S.Mさん
S.Mさん

2人目は妊娠初期に板垣文恵さん※に出会って、

文恵さんに赤ちゃんを取り上げて欲しいと思い、

自宅出産をしたい!となりました。

板垣文恵 いたがきふみえ
信州から沖縄まで全国各地の周産期現場に携わり、妊娠中から産後の女性のケアを行ってきた板垣さん。2024年10月まで沖縄で助産院むすびやを開業されていましたが、2025年現在は助産院を閉め、全国で講演会などを行っています。

きっかけは、姉が沖縄で助産師をしたことで、
病院出産だけではなく、
自宅出産もあると知った、
わたしは今まで助産師ではなかった、と、
泣きながら わたしに話してくれた。
わたしも泣きました。

まず姉が変わったんですね。

それから、
文恵さんから直接お話を聞いて、すごく感動して、こんなお産ができるんだ、
生活の中で産まれてくるんだ、となりました。
沖縄に行って産もう!となりましたが、
切迫早産のため、高知県から出ることが出来ず
県内のクリニックで姉に取り上げてもらいました。
結果、2人目は満足のいくお産となりました。

病院出産だと、分娩監視装置で
胎動の確認を行うのですが、これもなしにしました。

S.Mさん
S.Mさん

このお産があったから、
3人目、自分が産むんだ、という覚悟ができました。

お産のリアル 3人目

S.Mさん
S.Mさん

3人目は高知で自宅出産は無理でしたが、

オープンシステムを使って産みました。

どんなお産でもいいお産になるって自信がありました。

極端な話、例え3人目で死んでもいい、
いろんなものが手放せた、
常識がなくなったんだと思います。

3人目、なるようになる、という覚悟ができて、
ただそれを受け入れるという気持ちでした。

たまたまその時、板垣文恵さんが講演会を各地でされていて、
全国を転々とされていました。
文恵さんが高知へ来る2日前、
ちょうど岡山で公演していた時、もう子宮口が開いていました。

陣痛が来るのか?!
ドキドキしていましたが、無事、文恵さんが高知へ。

2人目の時本当に文恵さんに取り上げて欲しかったので、とても嬉しかった!
「ランチをしながら具体的な出産のイメージをしましょう」ということで、
具体的に話したのですが、
なんとなく、行けば何とかなる、
と思っていたのですが、いざ、陣痛が始まると
それどころではなくなっていたと思うので、
イメージしておいて、とっても良かった!


具体的に考えて、
陣痛の時に自由に動いたら
ベッドから落ちるといやだ、
低いマットか、
床に近い形がいい、じゃあどうする?
産む部屋にはベッドが置いてあって、それは部屋から出せませんでしたが、置いてあったソファを
部屋から移動させて、そこにマットを敷いて、
バランスボールを乗せて、
壁にくっつけよう、となりました。
バランスボールは動かないようにするのが大事なんだそう。

夫はどこにいる?というのも、
「このあたりがいいよ」と教えてくれました。
上2人が一緒に来るから、
陣痛中どこにいる?
細かいところまで一緒に話し合って決めました。

通常は、決まっているから仕方ない、
となるところ、
フリースタイルだと自由に考えられるのが
醍醐味なんじゃないか、と思います。

付き添いは、姉と文恵さんと県内の自宅出産に興味がある助産師さん。
母は助産師ではなく、母として立ち会ってくれました。

S.Mさん
S.Mさん

赤ちゃんは四つん這いで産みました。
赤ちゃんは夫がキャッチ しました。
長男は、お腹の中の子が生まれた時、
頭を触りたいと言っていて、それも叶えることができました。

姉の助産院の書斎の本を読んで勉強していたからですね。
本を見て、頭を触りたいと思ったみたいです。 
文恵さんや姉と産むことができたのは、とても嬉しかったし安心でしたが、
どの助産師さんとでもきっと、
自分の納得いくお産ができる、できたと思います。

産後の気持ち

S.Mさん
S.Mさん

3人目は一気にガクッときました。

鉄分とか亜鉛が足りなかったんでしょうね。
人に、支援を頼むのが苦手な気質で、
家族はわたしからSOSを出すのをまっていた、
わたしは出せなかった、ということがありました。

出張産後ケアを受けたことが、心身の回復になりました。

S.Mさん
S.Mさん

3人目は赤ちゃんが可愛いって、ひたれなかった、
ひたすらバタバタしていました。
3人目は”今”というところに、
自分の感情を確認する余裕がなかった感覚です。

上2人は喧嘩していたし ひたすら 疲労 疲労、、
体調も良くなかったし 、3人目だけ 育休を夫が取っていなかったこともありました。
ちょうど転職したばかり、フルリモートになって、まあ家にいるし、と思っていたけれど 
仕事でしたから、ねー。
ここまで、あっという間でした。

S.Mさん
S.Mさん

今はだいぶ落ち着いてきて、
人間らしい生活ができているな、という感じです。

当時の自分にかける言葉 

S.Mさん
S.Mさん

妊娠期の食べ物が怖い時のわたしに。
本当に可愛い子が生まれてくるからね って伝えたい 。

妊娠期、辛いつわりにも終わりが来るって分かったので、励ましてあげたいですね。

これだけは言いたい 

S.Mさん
S.Mさん

3人目は間を開けた方がいいかな ~

今にして思うと もったいなかったなって思っています 。

妊娠期、真ん中の子が2歳ちょっと。
3人目が産まれた時に、2歳半。
すごく大事な時期だったと思うんです。
わたしが充分に一緒に過ごしてやれなかった。
真ん中の子にずっと寄り添えなかったな、
という思いが残っています。

可能だったら 
せめて 3歳超えてるぐらい、
そうしたら、もう少し大事な時期を満足いくくらい一緒に過ごせたかなぁと。

妊娠が大変じゃない人は こうじゃないかもしれないけれども 、、

陣痛の変化

S.Mさん
S.Mさん

1人目 いつの間にか生まれてきた感覚 、2人目 自分が産んだ感覚でした。

3人目 陣痛のクライマックスに、

痛みに耐える→逃げる→受け入れる、

としてみたら受け入れるたびに子宮口が開くのを感じました。

3人目で初めて体の筋力は抜けているのに、 
子宮口の緊張が残っているのに気づけた。

陣痛のたびに、痛みを受け入れることを意識していたら
子宮口がふわっとふわっと開いていった。
結果、クライマックスの「すっごい痛い!」となる前に
生まれてきてくれました。

S.Mさん
S.Mさん

今までのお産は耐えていただけだった!

妊娠したら病院へ行って、そこで出産、がデフォルトになっているけれど・・

S.Mさん
S.Mさん

自分の体に聞く、赤ちゃんに聞く、、

すると、違和感が顕在化する。

分娩台って、医療従事者のためのもの、なんですよね。
産む人のベストではなくなぜ、医療従事者のためのベストなのか。

病院でも 
フリースタイルができるので、
知らずにそのまま行くのはもったいないと思っています。

S.Mさん
S.Mさん

この意識の変化は、

主体性が変わったんだと思います。

ちょっとしたことですが、たとえば病院はすごく明るくて、
気になったのでタオルでくるんで 
間接照明にして産みました。
それはとても良かったって思ってます。

産むときは分娩台に上がるにしても 
それまでは暗闇の中で過ごしたい、
とかは病院へ気持ちを伝えてできることはあるんじゃないかな って思います。

編集者より一言

助産師さんが周りにたくさんいらっしゃる環境での出産、
初めからフリースタイル出産、自宅出産が当たり前の環境と思いきや、
第1子の病院出産からの変化も含めてきかせていただきました。
夫、子どもという単位のご家族はもちろん、御自身の親兄弟も含めて、
みんなのお産だったのだろうな、と感じたお話しでした。

話の途中で、主体性が生まれて、変わったのだと思う、
という話がありましたが、
まさにここがわたしがお産の話を聴き続けている原動力で、
人生や子育てを根っこから変えていくパワーがお産にはあるんだよな、
だからお産の話は本当に楽しい、と改めて感じる時間でした。

S.Mさん、貴重なお話を聞かせいただき、ありがとうございました!

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