お産の間は結構笑っていた。
病院出産の時はなかった一コマ。
・幸せなお産だったけど、感じた違和感
・後悔を感じるお産の産みなおし体験をしたら・・
・本能で産むということ
35歳第1子(長男/子ども2人)病院出産
37歳第2子(長女/子ども2人) 助産院出産(里帰り出産/福岡県)
岐阜県 渡部深幸さん(Facebookグループ『お産 to Wa』主宰)
赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?
結婚してすぐに授かりました!
実家は福岡県。テレビ電話をしながら、
サプライズで妊娠したことを伝えました。
母は、「やっぱり!そんな気がしていたよ」
九州男児で厳しめの父は、、泣いていました。
喜んでもらえて
こちらまでもらい泣き。
夫はこの時の動画の録画が好きで
気がつくとリピートで見ています(笑)
2人目もサプライズで報告。
その時はやったっー!!て感じ!
2人とも困ることや苦労することなく、
出産となりました。
お産のイメージ
分娩台の上に乗っている妊婦。
まさにドラマのイメージそのもの。
うーって、苦しそうな感じ。
周りでは助産院や、
自宅出産をする友人がいたのですが、
その当時は全く興味がありませんでした。
妊娠時は引っ越したばかり。
岐阜県にどんな産院があるかもわからず、
職場の先輩に教えてもらった
有名なクリニックで産むことにしました。
お産のリアル第1子 みんな一丸となってのお産
予定日まぢかの健診。そこで初めて?が浮かぶ。
「予定日過ぎても陣痛がこなければ
陣痛促進剤をいれましょう」
との、お医者さんの説明。
予定日を過ぎてもいないのに、
もう入院の話?
自分の身体のイメージは、
健康そのもの。
何の問題もなく生まれると思っていたので、
アレ?!と。
でもそれがおかしいのか当たり前なのかも
わからず、
「分かりました」と返事をしていました。
内心、待ってくれないんだ、
という気持ちでした。
予定日頃に陣痛がきて、
夜中に電話をすると
「まだまだそんなもんじゃないよ」と
言われ待機。
翌朝、陣痛はおさまったけれども
破水をしている感覚もあり、
不安になって
病院に電話をし、診察。
赤ちゃんは元気だったものの、
破水していたのでそのまま入院。
月曜日から陣痛促進剤をいれるも、
陣痛はなかなか来ず。
その間、夫はずっとそばにいてくれました。
病院の看護師さんには
「一旦帰ってお産に備えたら」、
と言われたものの
夫は
「いや、帰りません。そばにいます」と、
ひとつのベッドでふたりで寝ていました。
その日の夜、
お腹の赤ちゃんに
「もう出てきておいで 。出てきて大丈夫だよ」と伝えたら、
子宮口が開いてきて、
朝には分娩室行くことに!
「先生が出勤するまで
待ちましょうね」、と言われたものの
赤ちゃんの心音が落ち、
「もう始めましょう」と、
あれよあれよと陣痛促進剤が入って
吸引分娩へ。
赤ちゃんの心音が落ちてきているから、
長くはお産の時間を取れない。
場合によっては帝王切開もある、と。
ともかく急いで急いで、
早めに早めにという感じ。
先生が赤ちゃんを引っ張り、
看護師さんがお腹を押して、
助産師さんがこえをかけて応援する、
チームプレイ!!
みんなの力で、
夫も側にいて、
一丸となっての出産でした。
産後の気持ちは
すごく感動したの覚えています。
お義母さんを見たら
さらにブワーッと感情が溢れました。
わたし、やりました!!という気持ちだったのかな(笑)
その時は先生と助産師さんへの感謝が
溢れていました。
その時の助産師さんに産後初めて会って
わぁっとわたしの気持ちがなったところ、
助産師さんからは「あ、どうも、、」と
あっさりしたお返事。
すごくそこに温度差を感じました。
あ、そうか、わたしにとっては
たった一人の方だけど、
この方にとってはたくさんいる患者さんの中の一人なのかな、、と。
入院中は子どもの黄疸がひどかったので、
レーザー光線を受けることに。
なので、部屋も別々。
おっぱいを飲む時だけあう。
レーザー光線が目にはいらないように
目にテープを貼って目隠しをしている息子に会うのが、
何とも言えない気持ちでした。
退院の時も、
全然知らない看護師さんに見送られ、、
そういった少しずつ、
何か違うが重なり、
病院に対して疑問が湧き、
想像していたお産は
助産院のお産だった、
と感じるように。
大きな違和感は、自分で産んでいない感覚にありました。
※黄疸(おうだん)とは、血液中にビルビリン(=赤血球が分解されてできたもの)という色素が高濃度で存在するようになり、皮膚が黄色く見えることをいいます。生まれて間もない赤ちゃんはみな黄疸があり、これを生理的黄疸(せいりてきおうだん)と呼びます。通常より早い時期に起こる早発性黄疸(そうはつせいおうだん)や長く続く遷延性黄疸(せんえいせいおうだん)、黄疸の度合いが非常に強く出る核黄疸(かくおうだん)は重大な病気が原因になることがあるため、検査が必要になります。
参照:育育自典 病気編 著者:毛利子来・山田真
思っていたのと違う・・産後の生活
退院してすぐ、赤ちゃんは黄疸が治らず市民病院に入院に。
毎日おっぱいを届けに行きました。
産後すぐだったので
義母に仕事の合間に車で送り届けてもらい、
おっぱいをあげ、そのままロビーで倒れて、
仕事帰りの義母に送ってもらう、
そんな生活をしばらく続けました。
思っていたのと違う 、、
産んで2週間くらいしてやっと赤ちゃんとの生活が始まりましたが、
出産も、産後の過ごし方も
イメージと違っていたんですよね。
お産のリアル 第2子 自分の力と赤ちゃんの力で生まれる
そんなこともあり、
2番目は福岡の助産院に里帰り出産することを選択。
助産院の先生とは帰省してからのお付き合いですが
それ以前にもLINE でやり取りをしていました。
ともかく、この先生が素晴らしくて!!
地元で自宅出産した友達に
「ともかくすごくいいよ」、と教えてもらった先生。
まずは電話をしてみることに。
「里帰り出産をしたいんです」と伝えると、
「もう大丈夫よ、あなたは赤ちゃんのことだけ集中してね」
という言葉をいただきました。
その瞬間、
すごく嬉しくて。
一気に安心できる存在となりました。
先生は健診のたびに
沢山おしゃべりをしてくれました。
赤ちゃんのこと、
お母さんのこと以外にも、
先生自身の話や、
関係ないわたし自身の過去の話も聞いてくれたり。
その時間がとってもよかった。
先生がどんな人なのかよく分かって 、
信頼に繋がりました。
病院との大きな違いは
先生がメインで見てくれること。
病院の先生とはプライベートの話しができる環境ではなくて、
質問もしづらかったんですよね。
助産院でたてたバースプランは
「とにかく自分の力と、
赤ちゃんの力で産みたい。
夫の立ち会い出産を希望」 というもの。
助産院で産むために
めっちゃ歩いて、
スクワットもしました。
予定日におしるしがあって、
腰がめっちゃ痛い。
19時ころに電話をして「じゃあ来なさい」、と
先生に言ってもらい、
上の子を連れて助産院へ。
22時には本陣痛がスタート。
進みが早く
0時過ぎには産まれそうに!
さて、その時、夫は…
木曜の夜19時に電話すると
「いや、ちょっと難しいな」
「金曜日は仕事を休めない」と言うので
「今来なかったら間に合わないよ!
お産だよ!先輩に相談することもできない?!」と猛プッシュ。
すると仕事を休む許可をもらえたそうで 、
ギリギリ最終の新幹線に乗り、
0時過ぎに到着、1時間も経たないうちに
生まれました。
骨盤の形がちょっと内側に入り込んでいて
赤ちゃんが出づらいので
「立てる?」と先生に言われ、
(最初は立てない!!となったものの・・)
後ろから支えてもらいながら立ったところ、
それがめちゃくちゃ良かったです。
腰が痛いのが一気に楽になって
赤ちゃんも降りてきて、
最後は横になっての出産。
夫も間に合い、
自分の力、赤ちゃんの力で生まれた。
なんてドラマチックなんだろう !!
当日は先生と、
先生の娘の助産師さん、
それ以外にもう2人の助産師さんと、
4人の助産師さんに囲まれての出産。
すごく幸せなお産でした。
全部が全部、1人目の時とは全然違った。
産後の気持ち
わたし、やったぞーー!!
自分で産んだぞ、と
ともかく達成感に満ち溢れていました。
実は、、これだけ2番目のお産が
良かったとなると、
上の子に申し訳ない、
という気持ちが生まれてきて。
2番目は産んだ後もずっと一緒。
ずっと隣で横になっていた。
その時間は本当に宝物。
娘との絆を感じられました。
一緒にいられる幸せを体感できたからこそ、
できなかったお兄ちゃんに申し訳ない、、と。
そんなこともあって、
子育てで難しい場面がある時、
あの時一緒にいられなかったから、
こうなのかな、、と振り返ることもありました。
産みなおし体験をする
そんな話をドゥーラ※さんにしたところ、
産みなおし体験をしてみない?と
勧められ体験することに。
気持ちの整理や
お産の振り返り、
何か引っかかってたんだね、
と、紐解いていくのですが・・。
涙が止まりませんでした。
気が付いたのは、
自分の気持ちに向き合っていなかったこと。
子の為というよりも、
わたしが産んであげたかった。
子どもにしたら全然関係ない話で、
そうなることも知っていて
生まれてきたかもしれない。
子どもはただ成長しているだけ。
問題がある度、
自分自身の後悔でとらえていただけ。
初めて、
自分自身がちゃんと自分と向き合いました。
それはまさに産みなおしの体験でした。
ドゥーラ
産前産後の母親に寄り添い、支える人。家事も育児も、心配ごとも、まるごと相談できる心強いサポーター。日本では一般社団法人ドゥーラ協会が産後ドゥーラ養成講座を開講しています。代表理事は松が丘助産院長の宋祥子さん。
自然の力で生まれた子は産道を覚えている
母もわたしを助産院で産んだそうです。
助産院の先生は
自然の力で生まれてきた子は
産道を覚えているから
自分もそう産める、と教えてくれました。
言葉にするのは難しいんだけれども、
自然に産めるって、
わたしの身体は知っていたんですね。
なのに、
1度目のお産はそうではなかった。
それが大きな違和感につながった。
自分の力で産みたい!
赤ちゃんと二人で頑張りたい!
という想いは、
わたしの本能からきてて、
その想いに向き合えたから、
2人目のお産は満足のいくお産になったのかなと!
わたしは2回のお産を通して
本能を開花できた。
お産ってそんな時間なんだと思う。
女は産み育てられる
自分が産める、
ということを知ってほしい。
女は命を育み、産み育てられる
ということを、私も含め知らない人が多いと思う。
女性は産む力がある
赤ちゃんは生まれてくる力がある
そこをこれからも伝えていきたいです。
当時の自分にかける言葉
大丈夫!!!なんくるないさー!!
ただただ、子育て楽しんで!
赤ちゃんをいっぱい抱きしめてあげて!!
編集者より一言
深幸さんは、助産院のお産や、助産師さんを知ってほしいと、
facebookで公開グループ 『お産 to Wa』を主宰されています。
普通のお母さんが活動をするにあたって、
何がそうさせるのでしょう?
聞くと、「幸せなお産や女性は産み育てる力があるということを
知ってもらいたい」というお返事でした。
初めのお産に違和感があり、
そこと向き合えたことが、
大きな原動力。
初めから幸せいっぱいだったら
そうなっていないかもしれない。面白いですね!
お産は振り返る度に、気づきと発見があります。
大切な時間をこれからも紡いでいこうと思います。
深幸さん、素敵なお話を、ありがとうございました!
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