・喜びと幸せがいっぱいの妊娠・出産。生きる意味をわたしにくれた。
・ワンオペ育児。今思えば・・〇〇〇〇〇なくて、手伝ってほしくなかったのかも。
・子どもがいることで強くなれた、安心していられた。
29歳第1子(長男/子ども3人)病院出産
31歳第2子(次男/子ども3人)助産院出産
34歳第3子(長女/子ども3人) 助産院出産
神奈川県 遠藤まゆみさん
赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?
お母さんになりたかったので
とっても嬉しかった!
自分が4人兄妹で、
一番下が小3の時に生まれてるんですよね。
もうその子が可愛くて可愛くて!
結婚したらすぐできるかな、
と思いきや、、
なかなか出来なくって、、
仕事が忙しく、
赤ちゃんを産める体になれていないことが
気になり
夫に相談して、
仕事をフルタイムから
パートに変更しました。
そうしたらすぐに
赤ちゃんがやってきてくれました!
妊娠中ご飯の炊く匂いや、
味噌汁の匂いでうってなったりして、
これかー!!こういう風になるんだ!!
って面白かったですね。
胎動も最初はこんな感じで始まるんだ!!
って喜びが一杯でした。
妊娠中は、それまで忙しかったので
おなかの子に声をかけまくって、
のんびり過ごしました。
2人目も、とにかく嬉しかった。
気を付けたのは、
長男に不安な思い、
寂しい思いをさせたくなくて、
長男を中心にして過ごすようにしたこと。
それは自分が寂しい思いをしていたから。
自分と同じ思いをさせたくなかったんですよね。
「赤ちゃんはいいから、
お兄ちゃんを見ていて」って
パパにも言っていました。
そのおかげか、
上の子が赤ちゃん返りをしたことは
ありません。
夫は2人がいいって言っていましたけど、
わたしは2人では寂しい!と思って。
自分としては余裕があったし、
割とすぐ3人目がきてくれました。
これも、
とにかく嬉しくって。
金銭面などの不安はあったけど、
「産ませてくれ」、とお願いして産みました。
「わたしの責任で産みます、
子どものことはやらなくていいから!」って。
…後で思い返してみると、
それなりに夫もやっていたようだったけれど、、
やっていたことにカウントされてなかった。
それは何でかって言うと、
肝心なところで手伝ってもらってなかったから、かもしれない。
夜泣きしたら寝室は別にしていたし、
オムツ替えもしたことはないし、、
わたし自身、介護職で
人のお手伝いをずっとしていたから、
特に大変という感覚がなく、やってもらおうともおもわなかったということも、あるかも。
でも、夫は女の子が欲しかったので、
女の子が生まれて
とても喜びました。
わたしとしては性別はどちらでもよかったんですが、
若干女を捨てていたわたしの為に来てくれたりしたかな、
と思う時も。
左:長男誕生!宝物が生まれた。車いすに乗ってほぼ初めて長男をしっかり抱いた写真。
中:2人目の抱っこは余裕が出てきた。
右:3人目、産後間もなくても余裕の抱っこ写真!
お産のリアル第2子
お友達から「すごくいいよ!」と
勧められて、2人目からは助産院に。
親に頼れなかったので、
家族で入院できることなどが魅力で決めました。
次男が生まれたのはクリスマスの翌日。
「クリスマスパーティーも出来たし、
無事にプレゼントも渡せたし、
もう思い残すことはないから、
大丈夫だよ、出てきていいよ、
ありがとう」
って話かけたら、
次の日の朝に陣痛が来ました!
明け方4時~5時ぐらいに痛くなって、
9時半に助産院に行って、
10時51分に生まれました。
お兄ちゃんの時は病院で、
出産前後は放置されていました。
夜中に破水して、痛くなったから病院へ行くも、
ギリギリまで夫とポツンと2人きり。
夜間料金時間から外すためにわざわざ、
朝の8時以降に産まされた感じでもありました。
それが、
助産院になったら
手厚くて!!
ずっと助産師さんがそばにいてくれる!!
暖かいタオルで温め続けてくれた!!
お兄ちゃんも立ち会いができました。
「母ちゃんがんばれ」って応援してくれたことを、
少し覚えているみたいです。
へその緒を長男が切れたのもよかったなぁと
思っています。
生まれてすぐのカンガルーケア
それまでわたしから離れられなかったのが
お兄ちゃんになった!!日でもあります。
弟が産まれしばらくは一緒に助産院で過ごしましたが、
退院の前日、夫と2人で自宅に帰りました。
(夫と長男が2人で過ごす、って初めてだったと思う!)
お産のリアル第3子
3人目も助産院で出産。
家族入院もできるし、
ゆっくり過ごせるので、
それがとても助かりました。
3人目も、
そんなに苦しまずに生まれました。
地元のお祭りに参加しながら、
お腹がはるなぁってなって、
その日の夜、
夜12時から1時頃に助産院に移動しました。
寝た状態のまま子どもたちを車に乗せて、
そのまま寝かせられたので、
とても楽でした。
お兄ちゃんだけちょっと起きて、
生まれたところを見ていました。
2500gで生まれたので、
そんなに辛くなく、
痛いのは痛いけど、、という感じでした。
生まれてすぐは、胎脂がついている。
助産院ではすぐに身体をきれいにしないので、
こんな写真も貴重かな?
(胎脂は身体を守る働きをします)
当時の自分にかける言葉
お母さんになれてよかったね。
とにかくワンオペでしたー!
3人目の時は特に夫が家にいなくて!
産後鬱になりかけました 。
というのも上2人が不憫で、、
どちらの両親も呼べないし、
夏休みなのに、
何もしてあげられないというのが辛くって。
テレビばかり見せて過ごしていたけど、
2人が仲良く遊んでくれていたから、
・・よかったのかな。
3番目の赤ちゃんが生まれてすぐ。
2番目のお兄ちゃんを沢山ハグ!!
子どもがいるからこそ。
子どもに助けてもらった、と思っています。
ずっと子どもが支えだったかもしれません。
子どもがいなくなったら、
不安になっちゃうくらい。
子どもがいてくれるだけで、
安心していました。
長男には特にすごく助けられて、
強くなれた気がします。
気持ち的にいてくれる安心感で、
できることがたくさんあった。
普段だったらやれないこと、
行かないところにも行けました。
例えば参観日も、
人見知りをする私にとっては
結構しんどい場所なんだけど、
子どもを通して話ができる、
助かる(笑)。
子育て間違っていなかった!!
長男が5年生の時に、
自分の好きな人を発表する場所で、
「お母さん」と言ってくれました。
「習い事や勉強をすごく応援してくれる、
すごいねって褒めてくれるのが嬉しい。
優しいし、料理が一番美味しい。」って。
これを聞いて、
「お母さん、怒ってばかりだけどいいの?」
っておもわず聞いちゃいましたけど(笑)
誰かと比べたりは言わないように
気をつけていました。
とにかくお母さんは応援隊!
何があってもあなたの味方だよ、って
こどもたちには伝えています。
よく話しているし、
年に1回は、習い事について
必ず話し合うようにしています。
兄妹3人とも、やらされてるというのは嫌だから、
自分で選ばせるためにも。
そして、やるからにはきちんとやりなさいと。
その代わり、
全力でサポートはするから、
と伝えています。
長男が話してくれたのを聞いて、
子育て間違ってなかったんだなと、
認められた感じがしました。
子どもの存在が本当に生きる意味と力をくれた
自分の人生の振り返り。
子どもが、わたしの生きる糧。
わたしは2番目長女で、
健康体だったから放って育てられました。
それなりに可愛がってもらえていたのだろうけれど、
あまり記憶になくて…
保育園にも一歳前から預けられていたし。
長女だから、女だからって理由で何かというと
「しっかりしなさい、あれやりなさいこれやりなさい、
あーしなさいこうしなさい」と言われ、
物心つく頃には家事も分担させられました。
小さな頃から中学生頃まで、
両手足全部の指に酷い霜焼けが出来て、
四年生頃から担当させられた洗濯物干しが
冬などは手が痛くて痛くて辛かったけれど、
母親がすぐ怒るからなかなか言えなくて…
両手指は腫れるから鉛筆を持つのも辛いし、
その手を他人に見られるのも嫌でした。
小さい頃はけっこうヤンチャで元気な子だったけれど、
引っ越しを繰り返し転校を繰り返すたびに、
方言は馬鹿にされるし、
太くなった両手指を見られるのも嫌だしと、
どんどん他人の目が怖くなり
他人に対して猫を被って壁を作るようになりました。
それが人見知りを加速させた原因かなと思います。
家にいるのが嫌で嫌で、
中学は部活に高校はバイトに明け暮れて、
せっかくやりたいと思ったこともスパッと切られたから、
高校卒業と同時に寮のある会社に入りました。
そんな人生だったから、
自分が何のために生きてるかわからなくて、
何度か死のうかなって思ったことがありました。
兄妹4人もいるし、
別にここで自分が消えても誰も困らないだろし、
悲しむ人もいないでしょうと。
結局、他人をあまり信用しないし、
独りの方が楽だし、ってなっていました。
結婚に興味も憧れもあったけど、
誰かとずっと一緒にいることが出来るのか、
わたしが人を幸せにできるのかって思っていました。
不仲な両親を見ていたので、
幸せな結婚や家庭がおとぎ話やドラマのように思えていました。
それでも、子どもは本当に欲しくて。
何でそんなに欲しがったのかわからないけれど、
もしかしたら絶対的な味方が
欲しかったのかもしれません。
だから、長男が来てくれた時は
本当に嬉しかったんです。
素直にありがとうって思いました。
小さい頃にもし連れ去られたりしたら、
きっとわたしじゃない誰かでもお母さんだと思って接するんだろうし、
わたしじゃなくてもいいんだろうけれどって思ったりもしてたけど、
だからきっと、夫にもあまり預けられなかったのもあるんですよね。
取られたくなくて…
長男が産まれて一緒に過した中で
これは宝物だと呼べるものが初めて出来て、
護るものが出来て、
あーこれは死ねないなと思いました。
子どもの存在が本当に生きる意味と力をくれたんですよね。
わたしにとって子どもは
とても大きな宝物で生きる糧なんです。
護るものが出来て、
味方ができたことで強くなれたなと思っています。
出産後に母、お疲れなのにはしゃぐ兄たち‥(笑)
編集者より一言
まゆみさんは、編集者さとうのご近所さんであり、
ママ友であり、100人のお産プロジェクトの
実働スタッフにもなってくれています!
でも、改めて、お産の話を聞くことで
知ったことがたくさんありました。
お産の話を伺った後、
「子どもの存在が本当に生きる意味と力をくれた」
の部分について、誰かのお役に立てるなら、と、
これまでのこと、どれだけ子どもが自分にとって
大きなギフトだったか。
ご自身の気持ちをご自身の言葉で
シェアしていただきました。
本当に、人には一人ひとりのストーリーがあって、
お産があって、子育てがある。
ワンオペについての
冷静な分析。
これ、実は結構あるあるな気がします。
まゆみさん、素敵なお話しと心の内側を聞かせてくださって、
ありがとうございました!
コメント