出産体験談№86 めぐりつながるお産

withコロナ

妊娠中のことをいつか娘に伝えるときに、
全てが伝わるように。
あったかい気持ちが詰まった飾らないフォト。

この記事の見どころ

・20歳の妊娠!赤ちゃんとの〇〇〇〇を感じ自分の身体を知っていくことで受け入れていく過程。
・コロナパンデミックの最中の早産。でも、肚が据わったその瞬間。
・SNSや情報の海にのまれるも、自分の感性に気がつく。

20歳第1子(長女/子ども1 人)病院出産
埼玉県 かなさん

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

わかなさん
わかなさん

妊娠したのが二十歳のときで、

わぁ嬉しい!というHAPPYな気持ちと同時にこれからどうなっていくんだろうという不安な気持ちもありました。

生理が止まっただけで、お腹のふくらみもない妊娠初期はあまりに実感が無く、
妊娠検査薬を何度も使用して確認していました。

その妊娠検査薬の、陽性の印が、唯一のつながりのように感じていました。

なにせ、こんなに早く妊娠すると思っていなかったので、心拍確認するまでは
不安と、大きな戸惑いがありました。

夫は、落ち着いた様子で、いつ産まれても大丈夫!という感じでした。
早々に性別を気にしたり、
雑誌のたまごクラブを買ってきたり、
すんなり妊娠を受け容れていました。

妊娠を受け入れていく過程

わかなさん
わかなさん

初めての経腟エコーや、
内診など、
他者に身体を委ねる段階になって今まで、小中高と性教育を受けてきたはずなのにわたしって自分の体のことを知らないなと感じました。

これから妊娠によって起こるであろう、変化に対しての知識がないまま過ごすことへの恐怖を感じたんですよね。
初めて経腟エコーで、小さく速く刻む赤ちゃんの心拍を聴いた時生きてるんだな。頑張ってるんだな。と思いました。

わかなさん
わかなさん

わたしの身体の中に、
ふたつの心臓があって
わたしのゆったりした鼓動と、赤ちゃんの速い鼓動、お互いに心地いい音を奏でている状態を感じました。

この頃から、赤ちゃんとのつながりが始まったと思います。

実家にある性教育の本を出してきて、
当時、学んだことを振り返り
あらためて妊娠できた自分の体を、
誇りに思いました。

コンプレックスもあるけれども、
それも含めて自分の体。
お母さんが、この体に産んでくれたから、
妊娠できて
妊娠をきっかけに、自分の体について、知ることができたことなど
少しずつ、ああ良かったなとほっこりしながら受け容れていきました。

お産は飾らなくて、日常の中にある、
を体現している一枚♪

お産のイメージ

わかなさん
わかなさん

お産のイメージは全くなく、
畑を耕していくイメージ。
スタートはぼさぼさの畑

お産のyoutubeをみて、予想はできても、
実感としてはなかったです。

当時は女の人だからお産ができる、
という程度でお産に対しての思い込みはなかったです。

母から聞くお産の話は「あなたは産まれてくるのがめちゃめちゃ遅かったけどはやくに首が座ってくれたから、子育てしやすかったんだよ」、
等、ポジティブな話が多く、
痛かったとか辛かったというような話は一切聞いたことはなかったですね。

お産のリアル

わかなさん
わかなさん

まず、お産に至るまでの話をさせてください。

娘の名前は「かなで」というんですが
始めの心拍確認で、音を奏でていたところからがスタートでした。

胎動を感じ始めた6カ月くらいから
ずっと赤ちゃんに話しかけていました。

お腹からの反応のポコポコが、
わたしには言葉に聴こえていました。

わたしがストレスを感じているときは、胎動が鈍かったりエコーで、顔をみせてくれなかったり
お風呂に入ってリラックスしていると、体を伸ばしていたり
同じ気持ちだよ、っていうジェスチャーで表してくれていているようで
赤ちゃんとの心のつながりを感じた妊娠期間でした

コロナ禍の出産で思ったこと

わかなさん
わかなさん

ちょうどコロナが増え始め、
日本ではパンデミックの初期で

とても不安な雰囲気に包まれていて、そわそわしていた時期に早産。

タコ焼きパーティをしていたときに、
破水からスタート。丸いものをころころ転がしていたので、満月と間違えたのかな?と夫と笑っていました。

破水から始まったので、赤ちゃんは大丈夫かな、苦しくないかな?と陣痛室で思っていました。

内診してもらうたびに、「まだダメ」とか「こんなんじゃ産まれない」という言葉にダメージを受けていたし、3回目の母親学級も受けていなくて、産み方もわからないままで、とても不安でした。

その日はもう一人、お産の方がおられて、助産師さんはそちらの方に手がかかっているようで、わたしはひとりぼっちの陣痛室でした。

さみしいなぁ。夫に会いたいなぁ。早く赤ちゃんに会いたいなぁと思っていると陣痛の痛みが腰に移動し、痛みが変わって
その瞬間、ビビビッときて、「わたし産める!!」「この子は出てきたいと思っている!」と本能的に感じて、すぐナースコールを押しました。

内診してもらうと、やっと分娩台にむかえることに。その分娩台までの道のりが、自分が生まれるまでの時間だと感じられました。

妊娠してから、いろんな気持ちがあったり、勉強したり、わたしお母さんになれるかな?とかいろんな不安が頭を巡ってた自分を思い出しつつ、娘が教えてくれた産まれるっていうつながりを大事にしてお母さんになれるんだって思いながら分娩台に上がりました。

いきみかたも知らないままだったけど、わたしは娘と対話し、自分の骨盤の開きや、赤ちゃんの体の動きを感じながら会陰切開もなくつるんっと綺麗に産まれてきてくれました。

お産の一番大事だった、芯の部分、つながってたからだなって思ったんです。

産後の気持ち

わかなさん
わかなさん

すぐに赤ちゃんを抱けないのもコロナ禍あるあるだったのかもしれません。

産まれてすぐに抱っこしたかったけど、早産だったため、たくさんチェックがあってなかなか手元には来てくれなくて引き離された気分でした。不安だったけど、この子ならきっと大丈夫と信じていました。

写真は、生まれて初めて黄疸治療している娘ちゃん。
頑張ってる娘の姿でもあり、遮断されて切なかった思い出の一枚。

手元に来た時には、新生児の笑みを見せてくれて、やっぱり大丈夫だった!と思いました

夫には生まれてすぐに電話をして、オンラインだったけど、赤ちゃんを見せて、家族になれたなと、感じたし、初めて夫の涙をみてわたしもいろんな気持ちが溢れ、よかったな、幸せだなって思いました。

同室で眠ってるとき、この小さな手が夢やいろんなものを掴んでいくんだろうな、
この子の未来ってどんなのかな、と思って撮った一枚。

見えない正解とにらめっこして気づいたこと

お腹から出てきてからも、とてもつながりを大切にしていたんですけどコロナ禍+早産で、まわりからのサポートが得られない状態から育児が始まりよく泣いていました。

寝返りをする頃には、
SNSや本からの発育の情報でパニックになってしまって。

わたしお母さんになれてなかったんだなぁと思った瞬間に娘がコロンと寝返りをしてわたしをみて、めちゃめちゃ笑顔で「ははは」と笑ったそのときSNSや育児本や誰かが言ってたことなどの見えない正解とにらめっこしてたんだな

わが子以外とのつながりを大切にしちゃってたんだなと気が付いたんです。

それからは、SNSや育児本、誰かの決めたルールをとっぱらって自分で決めるようになりました。

わたしは子どものころ、地元の山や川を真っ裸で走りまわっていたんですね。おばあちゃんが自然は全部あなたのものだから、好きなように使ったらいいと言ってくれていて。

おばあちゃんもお母さんから伝えられた言葉なんですが、わたしにも心地がいい言葉で。

娘は野菜が苦手なんですが、自分でもいだ野菜は食べられたり、水もなかなか飲まないなと思っていたけど、川の水はジャボジャボ飲んだり。

おむつも外して、ほら行っておいで!といったときの顔が楽しくてこれがわたしの求めていた、みんなが心地よいめぐりなんだな。何にも囚われない、こういう育て方をしたいなと。

うちの子は少し言葉が遅いけれどもすごいジェスチャーで伝えてくるんです。それでいいなと思って。

寝返りしたときに感じた気持ちは絶対に忘れないように育児をしようと思っています。

当時の自分にかける言葉

わかなさん
わかなさん

産まれた時の自分に、「そのままでいいよ」と言いたい。

産まれるとき、
死ぬとき、
全部めぐっている。

わたし自身のお産体験、お母さんから生まれた経験、
あと介護をやっていたので、
死に関わっていたこともあるし身近でおじいちゃんが亡くなったという経験もしているし・・

全部、命はめぐっていると感じています。

人が生まれたときも、娘が生まれたときもだし
きっとわたしもいつかいなくなっちゃうし、娘もいなくなるけど
これから先の自分に対しても、そのままでいいんだよっていってあげたい。
過去の自分に対しても未来の自分にも、言い続けたいっていうのがあります。

お産と同じで、死に方もわたしは迷うと思うので
そのときも、自然の流れで、そのままでいいんじゃない、っていいたい。
わたしより先に亡くなる方が導いてくれるのかも知れないし・・
大事な音とか、誰かが奏でてくれる音に耳を澄まして生きていこうって
日頃から思うようにしています。

お産を契機にかわったことはありますか?

わたしはもともとネクラだったし、外にでるのも嫌いだったし、
イジメも経験して人と話すのもとても苦手で。

産後、最初はずっと家に居たいと思ってたのですが、
お産について話をするお産の会「みんなでお産をみなおさん?」※や、
世界のママたちがつながるせかママcafe※の運営に携わるようになるなど、
娘がつないでくれた縁なのかなと思っています。

お産について話をするお産の会「みんなでお産をみなおさん?」
いいお産のお話をみんなで聴こう!のイベントを中心にイギリスで働く助産師 おざわじゅんこと
イギリスに住む日本の助産師 西川直子でくりひろげる色々なイベントを開催

せかままcafe〜世界のママとおしゃべりしよう♪〜

世界のママが集まるオンラインカフェ。おしゃべりは世界を救う!約10ヵ国40名のメンバー「せかまま開き隊」がおしゃべり会を開催。おうちから世界中のママたちとつながってみませんか?
せかままcafeの詳細はこちら

わたしが参加しているお産の会は、
産まれるだけでなく、死や中絶した方に向けてもお話をしていて。
いいお産って、そもそもあるのかなと思っていて。

いいお産って言葉で表せないくらい、いろんなことがあって、産むっていろんな形があると思うし、正解ってない。
産まれることも死んじゃうことも、全部正解ってない。
本人が満足いく時期が来たら、たどり着くかもしれないし、
背負ったまま亡くなるかもしれないし、でも、それも全部その人が生きてきた道。

だからこそ、産まれるときも死ぬときも、自分で選んで欲しいなと思っています。

せかママでも、お産の会でも、
自分の心地よさ、音、、
お話するとき、そのあたりを
伝えていきたいなって思っています。

産まれて生きて死ぬ事は巡っていて
とても奇跡なことだと感じています。

編集者より一言

今回、初めて取材に立ち会わせていただいたことで

出逢えた、わかなさんは自分の息子と歳が変わらなくて、びっくり。そしてお話を伺って、二度びっくり。
わかなさんの中にある、とても繊細だけれども、大切にしたい軸も感じる
世界観や、お産に対する想いにとても感動しました。日常に追われて見逃してしまいがちな些細なことや、小さな変化も
丁寧に感じてこられた、わかなさんの人となりがつたわるような、温かいお話でした。
わかなさんの語り口は、とても穏やかで、心にぽっと優しい明かりが灯る感じ。
そんなわかなさんの雰囲気を、たくさんの人に伝わるといいなと思いながら綴りました。わかなさん、お話を聞かせて下さってありがとうございました!

(編集担当:100人のお産プロジェクトメンバーまこし)

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