・高齢出産の希望!
・不妊治療と並行して意識したのは〇〇〇こと
・赤ちゃんを授かったタイミングは、これがベスト
・沖縄独自の風習
40歳第1子(長女/子ども3人)
病院出産
41歳第2子(長男/子ども3人)
病院出産
44歳第3子(次女/子ども3人)
病院出産
沖縄県 花城優香さん
赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?
来てくれたんだ、
嬉しいな。
お母さんになるんだ、
っていう気持ちを今でも覚えています。
38歳で結婚。
半年間タイミングを見ていたけれど
なかなか妊娠せず、
ブライダルチェックでできることを
やろうとしたものの
わたしの方は何も問題なし。
お互いに仕事をしていて
忙しくタイミングが合わないこともあって
39歳には人工受精に踏み切りましたが、
うまくいかず。
調べた結果、
夫に原因があったんですよね。
年齢的なものもあるから、
わたしの方はそんなに動揺しなかったんですが、
男性側の気持ちを考えると、、
病院からの帰りの車の中で、
初めて大号泣しました。
いざ伝えると、
夫は冷静で!
夫は、できることをしよう、って。
その後、体外受精。
5個卵子を取り出して、
移植しました。
1回の採卵では、
着床まで上手く いかず。
ガーーーンて落ちました。
それまでは、生理はよくきたねえ、
よろしくという感じで、
すごく尊いものだなあと思っていたんですよね。
それが、、
大好きだった生理が
大嫌いになった期間でした。
くる度ごとに泣いていました。
そんな中でも、
心の中では
『絶対に、大丈夫。
子ども達は来てくれるから』
と、言い聞かせていたんですよね。
とても不思議なんですが、
根拠のない自信がありました。
39歳の2回目の採卵。
お腹に戻すタイミングは違えど、
みんな同じタイミングで採卵した子達です。
体外受精の結果を聞きに行き、
「花城さん、着床してるよー」
と先生に言われた時。
わたしの腰が砕けまして。
「先生の子どもだわー!!
先生ありがとう!!」
と思わず叫んでいました。
いつもは淡々とした表情の先生も
温かく優しい笑顔が溢れ、
初めて見る
先生のその笑顔を今でも鮮明に覚えています。
不妊治療に通って気がついたこと。
不妊治療にかよっているお母さん、
世の中多いんだな。
年齢もわたしより下の子がいたり。
待合室で声をかけることはなかったけど、
いつも、心の中で、一緒に頑張りましょうね。
って応援していました。
命は奇跡。
この期間にいろんな感情を経験しました。
兄弟が欲しい。
わたしは2人姉妹。
なので
3人で小集団ができる、
そんな兄弟関係が憧れでした。
ただわたしの年齢と
体調を考えて
夫は「無理にとは言わないよ」
という感じだったのですが
「やっぱりお姉ちゃんにも弟妹が欲しいよね」、
ということで
体外受精にまたまたトライすることに。
2番目も3番目の子も
1回の体外受精で、
すぐに 着床しました 。
1人目は7回目の体外受精で授かったので、
このスピードには驚きました。
お姉ちゃんが話す胎内記憶
お姉ちゃんは、お空の上に3人いて、
その時から、
誰が先に行くって話をして、
「ねぇねぇから行くね」 って、
お姉ちゃんが来たっていいます。
そこに既に弟も妹もいたんだよって。
それなら、我が家は3人兄妹なのかな、
って思っています。
お産のイメージ
わたし自身は
3人とも帝王切開ですが、
お産には何パターンもあることを
伝えたいと思っています。
お産のリアル第1子 緊急帝王切開
1人目は緊急帝王切開でした。
子どもの状態で、
安心安全な方を、と、選びました。
お医者さんには
「お母さん、自然分娩にこだわりありますか」
と聞かれましたが、
その瞬間に
「ありません」と答えていました。
そうして生まれた赤ちゃん。
ガッツ石松みたいな赤ちゃんは、
わたしそっくり。
とっても可愛かった!!
術後は壮絶でした、、。
今でも鮮明に覚えています。
お腹の傷、そこに響く後陣痛の痛み。
おしっこも大変だし、
トイレには夫に連れてってもらいました。
服を脱がしてもらったりもしてて。
産後のお世話を沢山してくれたんですよね。
わたしがすまなそうにすると、
夫は
「ごめんねとかじゃないし 」
って言ってくれたんです。
そこでわたし、
「あなたの下の世話もわたしがするわあ」
って思わずいいました!!
わたし、この人が年をとっても
絶対にわたしが大切に
お世話をするんだ。
心に決めた瞬間です。
2人で大爆笑しました。
お産のリアル 第2子 緊急帝王切開
予定日より
1ヶ月早く生れました。
健診の時、赤ちゃんの状態からみて
「今日もう、産みますよ、
小さいかもしれないから
赤ちゃんはもしかしたら
総合病院行くかもしれない。
お母さんとは別に別になるかも」
と言われましたが、
その時の答えも、
安心、安全なほうで、でした。
で結果2034g。
1ヶ月早く産まれたけれど
幸い元気で、
7日目で退院することができました 。
お産のリアル第3子 予定帝王切開
手術の前日、
明日には会えるね。
とてもゆったりした気持ち。
過ごしました。
緊張とか恐怖心もなく、
お産に挑めました。
そのことは今でも覚えているし、
ちょっと不思議なくらい。
きっとリラックスして、
宇宙とのつながりを
感じているような状態だったのかもしれませんね。
上の2人はクリニックで、
3番目はコロナ禍もあり、
総合病院で産みました。
お陰で、不安が全くない状態!
それも良かったのかな。
コロナ禍で全て1人でしか行けない病院。
けれども、お産の時も医学生がいたりして、
それは赤ちゃんを産むための
サポーターがいっぱいいるんだなあ、って
感動でした。
コロナの前は健診も
ずっと家族一緒。
ですがこの時は
帝王切開で入院する時も、
家族は病院の入り口までの付き添いでした。
赤ちゃんとの初対面!その時の姉弟は・・
赤ちゃんが生まれてからは
家族に娘の動画を見せてあげていました。
退院して、
久しぶりの家族の再会!
長女は
「ママ~」ってくるのかなって
思っていたら。
今まで見たことのない全速力で
まず、赤ちゃんにいったんです。
3歳の娘の行動に、わたしは思わず号泣!!
妹が生まれてよかったな。
子どもにはいつも感動させられっぱなしです。
わが家に帰ってきて、お姉ちゃん、お兄ちゃんはじめまして~、の写真。
とはいえ、そんなお姉ちゃんも、
「もう!赤ちゃん可愛くないーー!!」
っていう時もあります。
そういう時は、
「そうなんだね。
あなたが一番可愛いよ」
って言ってます。
そういえば長男は、
妹が生まれてから、
抱っこの要求が多くなったかな。
「今、抱っこ!今、抱っこ!」
って言うんですよね。
だから、
「うん、じゃあ、わかった。」
今はこっちを優先した方がいいんだな、
って思って抱っこをすると、
3秒で満足しているんですよね。
子どもたちへ、
「大好き、大好き」は
毎日言うようにしています。
産後の気持ち
帝王切開で良かったなー。
この子達に会えたこと、それがすべて。
痛かったけど、
全部忘れますから!
自分も成長させられてるな、
って思います。
1人目は無我夢中だったけど、
今は、このぐらい泣いても
オッケーっていうのが、
分かってきました。
赤ちゃんは泣くことが仕事ですもんね。
不妊治療、これやってよかったよ!!
病院だけの医学的な治療だけでは、
やはり妊娠は難しかったんじゃないかな。
例えばわたしは漢方飲んだり、
酵素風呂に定期的に入ったりして、
子宮を温めるように、
意識していました。
受精卵を移植した際は、
手首足首を守って、
冷やさないようにしたり、
とにかく良いと言われることは
全部やりました。
印象的なのは同級生がやっている
美容室で の会話。
オーナーはわたしの全てを知っている友人。
その友人に、
不妊治療を始めて
今回もダメだったんだって
話していた時のこと。
「赤ちゃんって
空から見てるって言うのも聞くけど、
経済的に豊かなんだけど、
笑ってないお母さん。
経済的にはそこまで
ゆとりはないけど、
笑っているお母さん。
赤ちゃんにとっては、
どっちがいいのかな」
やっぱり笑ってるほうがいいよね
って話になって。
そうだそうだあほになって
笑って
力を抜くことが大事なんだ、
笑っていたらなんとかなるさ。
笑っていよう、
って思いました。
こどもがやってきたタイミング・・これが、バッチリ。
「あなたたちすごいね」
っていう気持ちで
子どもたちを見ています。
子どもたちが生まれた時から
お母さんにできることは
ご飯を作ることくらいねって思ってます。
それまで散々、
自己投資してきたから、
もう気は済んでいる
ってこともあって。
昔のわたしだったら
わたしが育てる!!って、
なってたかも。
やっぱりタイミングもばっちり。
うまくできているんですよね。
今だから、
「自分らしくのびのびと育ってね、
ありがとう」
って感謝感謝の気持ちでいます。
当時の自分にかける言葉
がんばらなくていいんだよ。
楽しんで、
笑っていたら大丈夫。
何とかなるから。
笑っていたら叶うよ。
子ども達がいるから、
ただそれだけで幸せ。
誕生100日目の記念撮影!
帝王切開ママに心無い言葉・・に、物申す!
ゆんたく会をすると、
帝王切開だと
「我慢強くない子になるよね」、
「痛くなくていいね」
などの、心無い言葉を
かけられたというママがいます。
わたし自身はいわれた経験はないけれど、
色んな出産の形がはあるのにね、
って思います。
一番の目標は、
安心安全で我が子にあえることだよね。
私たちも喋らないといけないよね。
「頑張って生まれてきたんだよ」
って、もっともっと伝えて行こう
って思ってます。
番外編:沖縄に残るお産の風習について
沖縄では、胎盤を家の下に埋める風習
が残る地域があります。
わたしは夫の実家の庭に埋めて、
その上に木を植えました。
胎盤を持ち帰りたいという方は、
沖縄の地域によってはまだまた多くて、
病院側も
「そういう風習がある所なんですね、
いいですよー」
って引き受けてくれます。
編集注:この話は非常に面白いので、ここではさわりだけ・・
詳しくはまた別にご紹介いたします!
優香さんが、特別なことではない風に、
ああそういえば・・、ってお話をする様子がとても印象的でした^^
編集者より一言
花城さんとは不思議なご縁でつながりました。
以前インタビューを受けてくれた方が、
沖縄への旅先でこのHPをシェアしてくれて、
その話を聞いた友人が、
不妊治療をして高齢出産した方の話が
希望になるよ、と紹介してくれたのです。
このHPはそうやってご縁が繋がり、繋がりやってきました。
感謝です!
また、沖縄の離島でのお産事情についても伺いました。
離島には助産師さんがいないため、
妊娠すると飛行機にのっての健診、
(飛行機の補助もあるそうです)
出産一カ月前には病院のある所にいって
マンスリーマンションを借りての出産。
ところ変わればお産も変わる・・!
これからもいろいろなケースを紹介できたらと思っています。
花城さんからは他にも神の島沖縄ならではの
面白い話を伺いました。
沖縄はお墓が子宮の形をしていたり、
本州とはまたちがった女性性の高さを感じます。
そのあたりについても紹介できたらと思いますが
今回はこれで。
花城さん、貴重なお話をありがとうございました!
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