出産体験談№.38 胎内記憶のお産

高齢出産
この記事の見どころ

・10年近い不妊治療
・2歳のお姉ちゃんが話す出産体験
・次女が話した亡くなったおじいちゃんとのお空の話
・子どもが出来ない苦しさ、不妊治療を続ける苦しさ

39歳初産(長女/子ども2人)
病院出産
46歳第2子(次女/子ども2人)
病院出産
長野県 吉野いずみさん(仮名)(スタイリスト)

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

年齢が高かったからびっくりしました。

前の夫との間に
子どもがずっとできなくて。

子どもが大好きでお母さんになりたい気持ちがすごく強かったけど授からず。

10年近く不妊治療をしていました。

新しい相手と、突然、できた!

しかも結婚前に!

自分よりだいぶ年下の彼で、、
好きにはなっていたけれど、、
子どもが出来なかったら、
到底、

結婚したいといわれたとしても、
結婚はしていなかったと思う。

子どもが出来たと伝えたら、
彼は大喜び!!

すぐに自分のご両親に
伝えていました。

結婚の挨拶をしに行くことになり、
怒鳴られるのではないかと思っていたら、

「身体の調子はどう?」と
いたわりの言葉をいただきました。

そして無事に結婚することに。

本当はどこか遠くに行って
子どもとふたりで暮らそうとも
思っていたけれど・・、

みんなに祝福されて本当によかった。

病院に行ったら、
「この人、

ずっと赤ちゃんが
できなかったのに
妊娠している・・!!」
とすごく驚かれました。

というのも卵巣に腫れがあったり、
片方の卵管が詰まっていたり、
プロラクチンの値がずっと高く(※)て、
通常では妊娠できない状態。 

※プロラクチンの値が高い☛プロラクチンとは授乳のためのホルモン。脳の下垂体から分泌される。妊娠すると高くなり乳腺を成長させ、母乳の出を促す。また、プロラクチンは、卵巣の機能を抑えるので、生理が来なくなったり、排卵しなくなることも。そのため妊娠もしにくくなる。妊娠時以外にこの症状が出ることもある。

夫の方も妊娠するには難しい状態で。

当時、
希望は捨てていなかったけれども、
長い不妊治療の末に、
「子どもが授かれる相手と

結婚した方がいい」と、
当時の夫は家を出ていってしまったんですね。

その先に今の夫がいました。

夫と別れたばかりの頃は、

新しい人なんて考えられもしなかったし、
毎日泣いて過ごしていました。

お姉ちゃんが話す胎内記憶とお産「ママを大丈夫にしてあげた」「歌いながら出てきた」

この時のお腹の赤ちゃんが
2歳4ヶ月になったころ、
胎内記憶の話をしてくれました。

おしゃべりがとても早い子でした。

以前から胎内記憶に関心があって、
聞くなら

・小さいうち

・覚えているうち

・さりげなく

・疑わないこと

と聞いていたので、
あくまで、さりげなく。

ある日の夕方、
布団に娘を包んで遊んでいた時に、

「まるでお腹の中みたいだね。
このなかにいたんだよね。
お腹の中では、
何をしていたの?」

と聞いたところ、
すっかり赤ちゃん気分になったみたいで、
色々と教えてくれました。

その時言った言葉が
「ママを見つけて
生まれてきたんだよ」

パパが「いい天気だね」って
言ってたよ。

「もう泣かなくていいよ」って
言ってたの。

「わたし、
ママを大丈夫にしてあげたの」って
言いました。

これをきいたら涙がでました。

それから、

足を広げて股の間をさして

「お母さんのここから
出てきたんだよ。
こうやってね、出てきたんだよ。」

体を縮めて、
手を前にぎゅっと 組んで、
頭をぐるぐる回しながら、
生まれてくるポーズを

見せてくれました。

「お腹の中ではね
パシャパシャしていたんだよ」

「お腹から出てきたらね、
下にはバケツがあったんだよ」

産む直前にわたしは
トイレに行きたくなって、
トイレに行ったのですが、
そのことも覚えていました。

「ママ、トイレに入ったの。
トイレに入ったら、痛い痛いって言ってたの」

「でてくる時わたしは
リラリラロリロリロリって
歌っていたの」って
聞かせてくれました。

今回、話すために当時の記録や
ノートを見返して、
忘れていた子どもの言葉を
思い出すことが出来ました。

今見返しても・・、泣けてきますね。

次女の胎内記憶「じいじが呼んでくれた」

2人目の子も、
やっぱりおしゃべりが早くって。

「上から見ていてママを
選んだんだよ。
そこに着物を着た神様がいたよ。
他にも子どもは

たくさんいたんだよ」
と教えてくれました 。

2人目を妊娠する直前、
夫のお義父さんが亡くなりました。

この胎内記憶を話した時に
「じいじがお空の上で

遊んでくれたの。絵本読んでくれた。
おいでおいでしてくれたよ。
足が痛いって言ってたの」

お義父さんに会ったことは
ないのですが、
写真ではみているので、
じいじと呼んでいました。

そして、
お義父さんは足をずっと痛めていました。

「2人目の子が出来るといいな」ってずっと言っていたお義父さん。

赤ちゃんがやってきてくれたのは、
お義父さんが亡くなって
お義母さんが悲しんでいた時。


赤ちゃんは、
お義父さんの生まれ変わりかもしれない、
なんて言っていたのですが、、

赤ちゃんをお空の上で
呼んでくれたのかもしれません。

お産のイメージは?

へその緒が見たいというくらいかな。

自分は大丈夫、
産めると思っていました。

神秘だよね。

出てくるまでは分からないから、
無事だけを祈っていました。

出産が痛いから辛いとは
思っていなくって、
会える日が近づく、
この子に会えるなんて嬉しい
という風に感じていました。

ともかくお産が
したかったんですね。

なので、妊娠中は つわりがあっても嬉しかった。

それはお腹で元気でいてくれる証拠
と思えたから。

2人とも、産む直前まで、
本当に生まれるその直前まで、
陣痛を感じながら、
仕事をしていました。

お産のリアル

とても軽く、すんなりと生まれました。

とにかく楽なお産で!!

痛い記憶はあるけれど・・、
痛くはなかった。

産まれてきた時は号泣でした。

当時のわたしにかける言葉

大丈夫だよ。

その大変な状況は
ずっと続かないよ。

成長すると必ず状況は変わっていくから。

成長のタイミングで、
都度都度、
いろんなことが起きるけど・・

全て幸せなんだよ。

今、大変なことがあったとしても
よく頑張ってるよね、
かけがえのない幸せな瞬間を
存分に味わって欲しい、って思う。

離乳食で顔がベタベタだったり、
机の下がどんなに散らかっていても・・
それでも、状況は変わっていくから。

その後の子育ては、
必ず変わるから。

どんなに大変なことも
全部、全部、夫や家族、
子どもがいなきゃできないこと・・。

そう考えると全てが幸せ。

グチものろけ

わたし自身、
不妊の時間も長かったので、
不妊治療をした人の気持ちもわかります。

望んだけれども、
子どもを授かることのできなかった人の気持ちも分かります。

仕事柄、
いろんな女性と話をしますが、
女の人ってみんなみんな、
家族の話をするんです。

世の中の女性の
コミュニケーションは、
家族で成り立っている、
と思うくらい。

なので、そういう意味でも、
産んでよかったと思います。

共通の話題になるので。

自分自身、
欲しくてもできなかった時間も

長かったので、
そういう会話が、
針の筵に感じるような気持ちもわかります。

ポジティブに生きる人は、
趣味のことを楽しんだり、
他の人の子どもの話でも楽しめたり、
そんな風にできたら幸せだなって思います。

そんなこともあって、
夫の悪口、
子どもの悪口、
いろいろ聞いたりもしますが、
ぜーーーーんぶ、
のろけだよねって思っています。

編集者より一言

話しを聞きながら涙、涙、、でした。いずみさんの話は、
赤ちゃん目線のお産の話がメインです。
そんなインタビュー、
なかなかないですよね(笑)
よく聞くのが、
「赤ちゃんも苦しいのを耐えているから、おかあさんも頑張って」という言葉。
でも、もし、赤ちゃんが、
歌いながら、楽しみながら、
出てきているとしたら・・?
なんだかすっごく、嬉しく、
リラックスできるように感じました。
お産て、まだまだ知らないことだらけ!
こんなお話しもどんどん
ご紹介出来たらと思います。
いずみさん、素敵なお話をありがとうございました。


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