出産体験談№14 想定外のお産

帝王切開

産後1週間、初めてのカンガルーケア。「おかえりなさい」という気持ちに
なりました。

この記事の見どころ

・不妊治療をやめてからの妊娠
・まさかの・・7か月での早産!!
・これは、ラッキーかもしれない。
 物事は捉え方次第!

36歳第1子(長男/子ども1人)病院出産・早期出産
神奈川県 富田理恵さん(デザイナー)

※富田理恵さんの詳しいプロフィールは、インタビュー末尾にあります。

産まれてすぐ。皮膚は触ったらダメになっちゃうんじゃないかくらい生々しくて、薄すぎました。

保育器の中ではずっと目をつぶったまま動かず。

鼻から管で母乳を入れていたのが、哺乳瓶で飲めるようになりました。

1318gで産まれた彼。本来ならお腹の中で成長するところを目の前で見れました。
オムツは市販じゃ売ってないサイズ。

赤ちゃんが出来た!その時の気持ちは?

りえさん
りえさん

なかなか子宝に恵まれなかった分、
信じられなくって・・・

妊娠に気づいた時は、
「まさか」。

やたら眠くて!
床で寝ていたりしてて(笑)
仕事が本当に忙しくて。

生理が遅れていたので、
妊娠検査薬をして、
最初は薄く印が出て・・。

少し間を開けて、
もう1回やったら・・
くっきりと印が出て!!

すごくびっくりしました。

2回目の検査で分かった時は
泣きました。

28歳の時に結婚して赤ちゃん、
すぐ来るでしょう~と思っていたら・・
なかなか来ない。

りえさん
りえさん

4年位でこれは不妊か!!と。

何年かに分けて産婦人科や専門クリニックに行って、
タイミングを試したり、
人工授精までしたけれど、、全然駄目。
治療を止めていた時期だったので、
この妊娠には本当に驚きました。

不妊治療は通ったり
止めたりという感じで、
自分が辛くなるようなやり方ではなかったのですが、
後から結婚する人がどんどん妊娠していく・・
なんでそんなに簡単にできるの?って思っていました。

未だに早くできる人を見ると
「羨ましいなあ」という気持ちがあります。
ただ、この期間、社会人サークルに所属をして。
いろんなイベントに参加をしました。

今でも夫婦揃ってサークル仲間と家飲みをしたり、
テレビゲームをしたり、
ズームをつないで交流したり。
コロナ禍でも繋がっています♫

自分の価値観以外の人と出会える場で、
この時に出会った人たちがいたからこそ今がある。
もし、結婚してすぐ子どもを授かってしまったら
出逢えなかった人たちがたくさんいるんです。
育児しながら多くの人と交流するような場所に
参加する発想自体なかったかもしれません。

りえさん
りえさん

結局はタイミングだったのかな。

赤ちゃんが来たことで、
会社は円満退社に。
在職中、切迫流産の診断を受けたので、
2 ヶ月半、
自宅安静になったり、
体を整えてくれる方に見てもらったりして、
7か月。

「よっしゃ!これでオッケー!
あとは生まれるまで遊ぶ!!」
と実家に帰った時のこと。
18 時ごろ尿もれか
破水かわからない液体が出てきた…!

当時、26週、7ヶ月。

「少し慌てて早く産まれようとするかもなので
9 ヶ月目くらいは気をつけてください」
と、子どもの声を聞ける人に
言われていたのですが
・・・早すぎる!!

28週までは
おなかの中にいて欲しい時期。

病院に電話をするも、、
実家周りは、未受診の妊婦は受け入れ不可。
かかりつけの病院に連絡をしたら、
「すぐに来てください」と言われました。

両親に送ってもらって片道2時間。
当時雨が降っていて、
出発時間も夜中の 22 時過ぎ。
高齢の両親に送ってもらうのは
申し訳ないと思いつつ到着。

が、

診察の結果、
逆子でなおかつ破水とわかり、
「うちでは対処できないので
NICU とセットになっている病院に
移動してください」と。

そこからまた救急車に乗って、
午前2時、出産した病院に。

多少の不安はあったけど…、
夫や両親がいた安心感か…、

初めて意識があるうちに
救急車に乗って地味に感動し、
消防士さんありがとう…と思いました。

破水したこともあり分娩室で、
助産師さん、
お医者さんに処置をしていただいたのですが、、
このお2人が面白くって♫
深刻そうな雰囲気が全くなく(笑)。
助産師さんも楽しそうに見てくれているので・・
何だか 気持ちが楽になって(笑)
楽しい感じで診察してもらいました。

張り止めの点滴を打ったのですが、
体温上がるし、
心臓はバクバクして動悸が激しく、
午前4時病室に入り横になったけど一睡もできず…。

しかも、11 月なのに体が暑くて、
入院して数日はタンクトップで過ごしていました。
新しい病院で、看護師さんは美男美女が多くて、
まるでドラマにでてきそうな場所!
わたしの病院へのイメージが良いものに変化しました。

「いいとこにこれたね~、棚ぼただね!」
と、両親と話しました。

その日から何も動けない点滴生活が始まって、
体を拭いてもらったり、
頭の毛はシャンプーしてもらったり。
トイレだけは歩いて行きました。

お産のリアル

りえさん
りえさん

「このまま出産予定日(2 月 6 日)まで入院だよ」
と言われ、
クリスマスも正月も病院で過ごすのか…
長いな…と思っていたが、
2 週間後。

深夜3時半過ぎに目覚めたら
お尻周りがビチョビチョになっていることに気づき、
即ナースコール!
ついに完全破水となるのでした。
助産師さん3名に付き添われながらベッドごと運ばれて、
その日の朝9時、
帝王切開することに。
夫は朝方駆けつけてくれてました。

「行ってきまーす」と、
手術室に行く時、写真を撮ったのを覚えています。

入院前からなぜか体重はお腹の分(1.5kgくらい)
しか増えなかったのですが、
病院に入って栄養のある料理を
三食ちゃんとした時間に食べたことで、
体重も元通りになりました。
(産後7キログラムも太ってしまったけれど・・)

りえさん
りえさん

出産前にいつかは書かなき ゃと思っていた
バースプランですが
書きたい気持ちになって書いた翌日、
そのタイミングで生まれる!
というのが、面白かったです。

手術は怖くて!
麻酔がなかなか効きませんでした。
下半身麻酔では感覚がなかなか取れず、
まだ効かない、
まだ効かないとなって、、
顎がめちゃガクガク震えながら、
1 時間後、完全麻酔へ。

「出産を見届けられない」
気持ちがピークになり
号泣しながら
意識を失ったことを覚えています。

バースプランでは音楽かけて胎盤見たい、
などなどいろいろあげていましたが、、
全身麻酔だったので何も覚えていません。

産後の気持ち

りえさん
りえさん

目覚めたらすべてが終わっていました。
子どもとのつながりがよくわからない状態。
苦しんで産んだ感覚がなく、
いってみれば、
変な執着がない状態。

もしかすると陣痛があったり
お産が大変だったりする分、
子どもへの執着って増えるのかな・・?

わたし自身は、
すごくライトな感覚でいます。
大量の麻酔だったから、なかなか動けなくて。
その日の夜、
下半身が痒いのに
動けない!かけない!
夜中に一睡もできませんでした・・。

ナースコールをして
看護師さんにかいてもらったり、
オイルを塗ってもらったことを、
よく覚えています。

手術した次の日、
車椅子に乗ってNICUへ。
赤ちゃんは保育器に入っていました。

早速おっぱいが出たことに驚きました・・!!
女性の体って不思議ですね・・。

赤ちゃんは2ヶ月半くらい入院していました。
わたしは産後1週間で退院。
自宅から電車バス使って40分くらいかけて
赤ちゃんに会いに行っていました。

周りからは「大変でしょう」
と言われましたが・・、
わたし自身はそんなに大変と思っていなくて。
むしろ産後すぐに赤ちゃんと帰る方が
大変だなと思っていました。

赤ちゃんは看護師さんが見てくれるし、
自宅で3時間おきに搾乳して
冷凍保存の作業はあったけど、
病院ではおっぱいをあげて過ごせばいいので、
そんなに大変という感覚はなく。

「早く一緒に帰りたい」
という思いもありますが、
「もうちょっと見ててくれても助かるな」
という想いもありました。

1か月は NICU(新生児集中治療室)で、
1か月は GCU(回復治療室)
でみていただきました。

GCUは経過観察の時間で、
この期間におっぱいをあげたり、
おむつを替えたり、
お風呂の沐浴を体験しました。

良い経験をさせてもらったと思っています。
病院も本当によかった。
至れり尽くせりでしたし、
何があっても大丈夫な病院というのは
安心感があります。

当時のわたしにかける言葉

りえさん
りえさん

「良かったね」です。

子どもがいる未来を描いていなかったけれど、
子どもがいる生活って
大変だけど楽しいよって思います。
諦めても、諦めなくても、なるようになる。

退院後、困ったことがあったら入院した病院へ色々聞ける!

りえさん
りえさん

GCU で子どものお世話をしていたのにもかかわらず、
いざ家に帰って
本格的に育児となると
わからないことだらけ!

子どもをお世話してくれた助産師さんと、
直接お話することができました。
助産師さんは、ミルク・オムツの時間・排便の時間、
全てメモしてくれていて
息子の状態にとても心を配ってくれていたので、
本当に心強かった。

やっぱり、
これってラッキーじゃない?と思いました。

写真左:GCUで沐浴
写真右:GCUではバスタオルのおくるみで過ごします。
ぶしゃいくな顔とコンパクトな体が可愛いかった(笑)

富田理恵さんはこんな方

『人を応援する、後押しをする、キッカケになる』
ことが好きです。
これからは『アーティスト兼セラピスト』
として活動していきます。

編集者より一言

いやもうこれ・・不妊治療からの早産。
大変だったんじゃない?
自分を責めたりしていない?
なんて眼鏡をかけていたのですが・・

理恵さんの、
この、あっけらかんさとした、軽やかさ!

真面目なタイプだったのが、
本来の自分ではないと感じて、
7年くらいかけて少しづつ、
少しづつ、
軽くなっていったそう・・。

「深刻さや、周りの目が・・とか、
もういらないよね」と。

そんなもろもろのタイミングから、
妊娠、
そしてこのお産になったのかな、
と感じたのでした。

理恵さん、大切な思い出を聞かせていただき、
ありがとうございました。

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